亀田川を巡る

今日は朝から晴れ、亀田川河口から上流に向かって自転車で巡った。ルートは大森橋→高盛橋→千歳橋→新川橋→昭和橋→東橋→白滝橋→中の橋→松川橋→新世橋→梁川橋→宮前橋→鍛冶橋→白鳥橋まで。

亀田川河口
大森海岸河口

大森海岸河口から津軽湾に注がれる亀田川の水面は静かにゆっくりと流れていた。しかし大雨になると怖い位の勢いで津軽湾に注がれる。

 

大森橋から見る亀田川下流
大森橋から見る亀田川下流

青く晴れ渡った空、遥か向こうに見える亀田半島に横たわる残雪の山並み、そして青空が水面に映える亀田川。亀田川は袴腰岳を水源として赤井川、雁皮川、精進川、笹流川と合流して大森海岸河口から津軽海峡へ流れている。全長20.5km、流域面積43.5k㎡の二級河川で別名大川ともいう。

白鳥橋付近から亀田八幡宮を通って函館港へ流れていた亀田川を真宗本願寺派願乗寺の僧侶堀川乗経が、安政4年に現在の鍛冶橋付近から分流させ函館山ふもとの中心部まで願乗寺川という人工川を作り、当時生活水が不足していた市街地の発展に貢献した。その後明治22年、水道設備が進み願乗寺川を埋め立てて中の橋付近から分流させ大森海岸河口まで新川を通して現在の亀田川の姿になった。

亀田川の歴史は函館の発展に深く関係しているし、函館市街地を流れる亀田川の景観は函館にとってなくてはならない大切な川だと思う。

 

慰霊堂
慰霊堂
慰霊堂内部
慰霊堂内部

昭和9年3月21日に住吉町から発生した大火は市街地を一夜にして焼土と化した。罹災者約10万2千人のうち死者行方不明2千8百28人という大惨事であった。大森橋に逃げ殺到するも大森橋は炎焼、焼死者が折り重なる惨状であったという。昭和13年、焼死者の霊を慰めるために大森橋脇のこの地に慰霊堂が建てられた。

昭和29年9月26日、15号台風で青函連絡船洞爺丸他4隻が七重浜沖に沈没し、死者行方不明者は約千4百40人であった。私が5歳の時である。死者の棺がこの広い慰霊堂にびっしり並べられ、もうもうと立ち上がる線香の煙が充満するなか、大勢の人々が泣きくずれる光景がいまも記憶に残っている。

 

東橋のウミネコ
東橋のウミネコ

東橋を通るたびにウミネコが決まってこの街灯に気持ちよさそうに止まってのを見かける。今日もこの光景である。もしかしたらこのウミネコ専用の街灯なのかもしれない。

 

白滝橋から見る中島廉売
白滝橋から見る中島廉売

白滝橋に続く通りに中島廉売がある。観光客が利用する市場ではなく地域の人々の生活に密着した市場である。私が子どものころは朝から晩まで買い物客で溢れるほどの賑わいがあったが今は閑散としている。人口減、店の担い手の高齢化などの影響である。しかし土曜日にはそこそこの買い物客が集まってくるのがよく見られる。だから休日にしている日曜日を別日にしたらもう少し集客できるのではないかと思うのだが昔からの決めごとを変えるのは大変なのかもしれない。

 

白滝橋下を泳ぐ鴨とウミネコ
白滝橋下を泳ぐ鴨とウミネコ

白滝橋下では鴨とウミネコが仲良く昼の陽光を愉しみながらゆったりと泳いでいた。

 

白滝橋の土手で遊ぶ雀
白滝橋の土手で遊ぶ雀

また、白滝橋の土手では一羽の雀が私が近づいても逃げることなく行き交う車をじっと眺めていた。

 

新世橋の土手に咲くマンサクの花
新世橋の土手に咲くマンサクの花

新世橋の土手には一本のマンサクの木がある。毎年この時期にはマンサクの花が見事に咲く。春の兆しをマンサクの花が知らせてくれる。もうすぐ函館に新緑の季節がやってくる。

 

白鳥橋に着いた途端、雨混じりの雪が急に降ってきた、亀田川散策の続きをまたいつの日かやってみよう。

4件のコメント

  1. 今晩は。「鍋を囲んで」のブログ見ました。剛(君はつけません)の家での「鍋の会」時間どこか飛んでしまって、語り、盛り上がり、そば焼酎etc、旨っかたです。剛の家だったので周囲を気にする事も無く、思い切り楽しめました。富野にもメールして感謝伝えました。
    「亀田川」のブログで新しい事教えられました。剛の行動力、函館の街の歴史を知りたい、函館が好き、といった気持ちがブログ見て感じられます。函館に長く暮らしていて、日常の事となにげなく見てきた事象も、視点を少しずらすと別の事象と見える事もあるんだと感じます。剛が函館へ帰って、気の置けない友達との会合(要するに飲み会)でいろんな刺激受けて、友達に感謝です。亀田川、新川の土手も整備が進んで、綺麗になりましたね。昭和橋の土手では春、桜が咲いてちょっとした花見できますよ。剛が感じたように、亀田川を下流からさかのぼって行くと函館の春の一端を見れると思います。大森浜の慰霊堂も歴史を証言する建物でしょうね。函館大火の犠牲者への慰霊で建てられ、後世に災害への対応の必要を教えるよりどころにしたりetc。函館、歩き回れば発見いろいろあって魅力的な街なんだね。春になったから私も少しずつ歩きましょうかね?  裕士より

    1. そうですね、これからいい季節になります。函館の新しい発見に出会うかもしれませんね!

  2. 「亀田川」函館市の真ん中を通る大きくもない川、剛の目線から見ると小さな風景が我々では見えない景色として伝わって来ます。ブログに多少、付け加えさせてもらうと願乗寺の堀川乗経が上水の為十字街まで造った川が今は高砂通りとして埋められ大森浜の方に変更された。その代り日本で2番目に古い近代上水場が造られ元町の水元に赤川の笹流れダムから高低差で貯められ住民の水道として利用されている。因みに堀川乗経の娘、堀川トネは地震学者のジョン・ミルンと結婚して今は函館の外人墓地に眠っている。函館の歴史を見ていると意外と日本で1番か2番に造られた物が有り近代都市だった事が解る。

    1. 堀川乗経の妹とその連れ合いのことは初めて知りました、ありがとうございます。
      元町の配水場は私のお気に入りの場所のひとつです。笹流れダムから元町配水場に高低差で貯水していること自体すごいことですよね!

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