奈良・京都スケッチ

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40歳ころ、急に奈良と京都に行きたくなって気がついたら汽車に乗っていた。
春の盛りの時期で、緑も青く美しい古都を満喫したことを思い出す。

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東大寺二月堂からみた奈良
90.04.16 東大寺二月堂からみた奈良

東大寺二月堂  90.04.16

二月堂の境内から奈良の家並みを見る。華厳宗東大寺の瓦屋根が威容を放つ。

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春日大社
90.04.16 春日大社

春日大社  90.04.16

若草山の奥まったところまで歩いていくと、すぅーっと大社が現れる。薄暮れの朱はとても鮮やかだった。

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興福寺南円堂
90.04.16 興福寺南円堂

興福寺南円堂  90.04.16

法相宗の大本山である興福寺。東大寺へ行く人は必ずこの寺に立ち寄るはずである。この円堂の前に立った時はもう日暮れ時で大きな雪洞提灯には明かりが燈っていた。そういえばこの寺は薪能で有名で、一度鑑賞してみたいものである。

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室生寺・彌勒堂
90.04.17 室生寺・弥勒堂

室生寺弥勒堂 90.04.16

近鉄室生口大野から山懐奥に擁かれている境内まで随分歩いたことを覚えている。室生寺は女人高野として親しまれていて、金堂や五重塔が有名であるが、私は茅葺の入母屋屋根、格子戸で構成されているこの弥勒堂が洗練されていて好きである。小さなものでも落とすとコトーンと境内に響きそうな静けさである。

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長谷寺本坊への参道
90.04.17 長谷寺本坊への参道

長谷寺本坊への参道  90.04.16

長谷寺の境内はとにかく広い。本堂と本坊は境内のほぼ真反対に位置している。重厚な石段、純白の漆喰塀、深く蒼い新緑・・・本坊へ続くこの参道は美しかった。

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長谷寺本坊より本堂をみる
90.04.17 長谷寺本坊より本堂をみる

長谷寺本堂  90.04.16

真言宗豊山派の総本山で西国三十三観音霊場第八番札所である。知人の体験だが、夕刻、誰もいない礼堂の外舞台でひとり瞑想していると背後からふわぁーと抱きすくめられた、振り向いても誰もいなかったと聞いたことがある。霊的感性がまるで無い私でも、その体験はあり得るのではないかと思うのである。

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三十三間堂境内
90.04.17 三十三間堂境内

三十三間堂 90.04.17

柱間が三十三あるから三十三間堂といわれているが内陣が柱間三十三で外見では柱間三十五、三十三間堂の間寸法は一定ではなく独自の寸法になっている。蓮華王院という天台宗の寺で、1164年建立後幾度かの震災を経て1266年に再建されて以来現在に至っている。
静謐な境内に建つこの堂は高さが低く抑えられ、柱と建具が規則正しく配されている。その禁欲的に意匠化された堂内には1000体もの千手観音立像が通路左右に500体ずつ整然と立ち並んでいるのである。
外部空間と内部空間が生成するこの緊張感のある関係性に陶酔し、痺れるのである。

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二条城・二の丸御殿
90.04.18 二条城・二の丸御殿

二条城 90.04.17

400年前に家康が築城し、今に至っている。なんとなくお寺のイメージであったのだが、敵からの攻撃から守る設えのあるれっきとしたお城なのである。 数え切れないほどの武家風書院造りの間、狩野派の画家による障壁画・襖絵・屏風絵、各部屋から美しく鑑賞できるように設計された庭園などまさに日本美術の宝庫である。

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清水寺・子安塔より本堂奥の院舞台をみる
90.04.18   清水寺子安塔より本堂奥の院をみる

清水寺 90.04.17

子安の塔からみる清水寺本堂である。ゆったりとした雄大な檜皮葺きの寄棟、その大屋根を支える太い列柱、豪壮な舞台、急な崖に林立する欅の柱群。音羽山に囲われたその姿は江戸初期から変わっていない。

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東本願寺境内
90.04.18 東本願寺境内

東本願寺 90.04.17

浄土真宗大谷派東本願寺は1602年に西本願寺より分立し、その後数度の火災の度に建て替えがあり、現在の建物は明治28年)に再建された。御影堂には親鸞聖人の御真影が安置されている。

本願寺派、大谷派合わせると浄土真宗の寺院の数が圧倒的に多いと聞く。おそらく親鸞の教えが一番民衆に分かり易く受け入れられたからではないだろうか。いままで浄土真宗は本願寺派と大谷派の二派だけかと思っていたがなんと十派もあるらしい。

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西本願寺境内
90.04.18 西本願寺境内

西本願寺 90.04.17

西本願寺は正式には浄土真宗本願寺派といい、1591年にこの場所に建立されている。東本願寺と同様に親鸞聖人の御真影が御影堂に安置されている。私が訪れた年の4年後、世界文化遺産に指定されている。

ところで、名刹といわれる本山寺院は山深い奥地に境内が擁かれていて容易に民衆が辿りつけない聖なる場にあるものであるが、西本願寺にしろ東本願寺にしろ京都駅に近接していて民衆の生活圏に在るのは、民衆のための教えを説いた浄土真宗ならではなのかもしれない。

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