今日は沖縄戦(1945.3.26~1945.6.23)が終わって73年が経ち、糸満市で沖縄全戦没者追悼式が行われた。沖縄を考えるとき、戦後間もなく生まれた私は沖縄の歴史を切り離して考えることができず、どうしても「沖縄と本土」という対語が即応的に脳裏に浮かぶ。そしてこの対語は日本が抱える不条理と直結する。
大江健三郎(1935.1.31~)が著した「沖縄ノート」を20年前に読んだとき、私は「沖縄と本土」という対語が更に日本の不条理を難解だが明確に感じた覚えがある。大江健三郎は「日本人とは何か」という命題を抱え、沖縄返還運動家との出会い、明治以降の沖縄の歴史と沖縄戦の集団自決の事実、米軍基地の核への疑義と意義申し立てなどをとおして「沖縄ノート」を書く。
「沖縄ノート」の記述の中でも特筆されるのは慶良間列島で行われた7百人を超える集団自決は日本軍の命令によるものだと書かれていることだろう。そして命令を下したとされた元軍人が「沖縄ノート」は事実に反しているとしてその箇所の削除をもとめる訴訟を起こした。一審、二審、最高裁とも「自決命令を認定することには躊躇するも記述には合理的な根拠があり、著書発行時に著者が自決命令を真実と信じる相当の理由はあったと言える」として原告側の主張は却下されている。
私には集団自決が強制的なものだったかどうかは解らないが、集団自決があったことは事実でありそのことをきちんと受け止めることが大切だと思う。それにしても沖縄戦の集団自決は私を含め、いわゆる本土に住む人々にどれほど痛みとして捉えられているのだろうか。大江健三郎は「沖縄ノート」のなかで日本が抱える不条理以上に自らのなかに罪性を認めながら「日本人とはなにか」の問いかけを完結することはできぬと告白する。
それでも沖縄戦終結から73年経った今日、沖縄全戦戦没者追悼式で述べた中学3年生の少女のメッセージは私に未来への一条の光りを感じさせてくれたのは救いだった。