ワイエスとハンマースホイ

今朝の日曜美術館の特集はアンドリュー・ワイエス(1917.7.12~2009.1.16)だった。去年は生誕100年ということもありアメリカで何カ所かで展覧会が開催されているようである。以前から何となく気になっていた画家だったので、私は2008年12月16日、Bunkamuraザ・ミュージアムに「アンドリュー・ワイエス展」を観に行った。

アンドリュー・ワイエス展
アンドリュー・ワイエス展

挿絵画家の父をもつワイエスは子どもの頃から絵の才能があった。大衆受けのする画風の父はワイエスにもその画風を要求する。しかしワイエスは父の画風に反発を感じながら自分の感性で描きたいと思い募る。ワイエスが28歳のとき父が踏切事故で亡くなる。父への反発がある一方、父への敬愛の情もあったワイエスは父の死を悼むべく描いた作品「冬1946」を契機に画家として独自の道を進むことになる。

幼少期から病弱なワイエスはほとんど学校にも行くことがなく、ひとりで周辺の丘で遊ぶことが多かったという。そして長じてからも近くの住民との交流から、その人々を描くようになる。その住民の中にいたアフリカ系移民の人々の姿を描いた作品は当時のアメリカの一断面を表現している。この時代は人種差別に抗議する公民権運動が激化していた。

ワイエスの作品の多くはメイン州で描かれている。1939年、妻とクッシングの海辺の家で暮らすようになりアンナ・クリスティーナとアルヴァロというスウェーデンからの移民のオルソン姉弟と出会う。そしてオルソン姉弟が住む家とオルソン姉弟の貧しく慎ましい生活に魅せられたワイエスはこの場所で30年間に亘って描き続ける。とくに、身体に障碍をもつクリスティーナが作業を終えて身体を大地に這わせて家に向かうというモティーフの「クリスティーナの世界」は観る人によって様々な解釈を呼び起こす魅力的な作品である。

今日観た日曜美術館のテーマ「ワイエスの描きたかったアメリカ」とは移民国家であるアメリカが抱える排他的な人種問題や格差社会の歴史をワイエスが作品を通して表現したことを指している。邪推かもしれないが、いまアメリカでワイエスの展覧会が開催されているのは現大統領の政治姿勢に対する申し立てなのだろうか。

ところでワイエスは自意識が強かったせいか絵を描く自分の姿を人に見られるのを嫌がったという。だから風景、人の居ない部屋、後ろ向きや横向きの人物がほとんどで、作品に独特の空気感を漂わせている。私はそういうワイエスの絵が好きである。

ヴィルヘルム・ハンマースホイ展
ヴィルヘルム・ハンマースホイ展

「アンドリュー・ワイエス展」を観た日の10日前に国立西洋美術館で開催されていた「ヴィルヘルム・ハンマースホイ展」を観た。ヴィルヘルム・ハンマースホイ(1864.5.15~1916.2.13)はワイエスより半世紀ほど前の画家でデンマークの画家であるが日本では馴染みが薄いかもしれない。コペンハーゲンの裕福な家で生まれ、8歳の時には個人レッスンでデッサンを学び、15歳にはコペンハーゲンの王立美術アカデミーに学ぶという恵まれた経歴をもつ。

画風はワイエスと同様に風景、人の居ない部屋、後ろ向きや横向きの人物(大抵は妻のイーダがモデル)が多く、作品を観る人の想像力をかき立てる。建築の仕事をしていた私は上品で静謐で謎めいた空間が充満するハンマースホイの作品に魅せられた。タブローとしては何の変哲のない風景や部屋や人物なのだが言いようのない空間の深みがそこにある。私はそういうハンマースホイの絵に建築的魅力を感じるのである。

 

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