「ふたりのゴッホ」

・・・書かれたものと、それを書いた人間とを、できるだけ切り離して考えよう。作品とその作家とをごっちゃにしてはならない。しかし、なかにはそれとはまるであべこべに、作品とその作家とを大いにごっちゃにし、それからあらためて作品へ立ち返ると、その滋味がますという作家もいて、その代表格の一人が疑いもなく宮沢賢治である。・・・作家の故・井上ひさしが、ちくま日本文学「宮沢賢治」の巻末に「賢治の祈り」という表題で上記の一節を書いている。

「ふたりのゴッホ」
「ふたりのゴッホ」

さて、画家であり絵本作家の伊勢英子の「ふたりのゴッホ」はファン・ゴッホ(1853.  3.30~1890.7.29)と宮沢賢治(1896.8.27~1933.9.21)の相似性を軸にふたりの作品と生涯について書かれた本である。この本を読むと、上記の井上ひさしの一節の最後の宮沢賢治をゴッホに替えても不思議ではなく、井上ひさしの一節にあらためて頷かされる。

ゴッホと賢治は、37歳で命を終えていること、麦畑への愛着があったこと、膨大な文字を遺していること、子孫を持たなかったこと、長男だったこと、全寮制の学生だったこと、信仰心が深かったこと、等々驚くほどの相似性があるという。

伊勢英子自身、ゴッホと賢治に寄せる彼女の深い想いの作品も少なくなく、「ふたりのゴッホ」に綴られている言葉の背後に感じられる気配からも、彼女の感性が、いや彼女自身がゴッホと賢治に同化し溶融しているように思う。

伊勢英子の父親も画家だった。この本のあとがきに父親との死別について触れていたが、もしかしたら「ふたりのゴッホ」は彼女の意識下では父親と彼女のことだったのではないか、そう感じさせられる本だった。

 


※以前このブログで「伊勢英子」という投稿を載せています。

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