「銀河鉄道の夜」

最初に宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」を読んだのはいくつの時だったろう。私が子どもだったころは外で遊んでいるか漫画ばかり読んでいて、絵本や児童書を読んで目を閉じて浪漫を夢想するといった少年ではなかったと思う。だから「銀河鉄道の夜」にさして思いを寄せるといった記憶がない。

「銀河鉄道の夜」
「銀河鉄道の夜」

先日、図書館で「銀河鉄道の夜」をさらっと目を通してみたら何となく気持ちが動いて借りることにした。

ジョバンニという少年が病の母のために配達されていなっかった牛乳を取りに出かける途中、銀河祭りに行く友達にからかわれ町外れの丘へ行く。
すると突然「銀河ステーション」というアナウンスがあり、光に包まれると銀河鉄道に乗っている自分がいる。そこに友人のカムパネルラも乗っていた。

そしてカムパネラと一緒に銀河鉄道に乗って天の川を旅する。大学士、鳥を捕る人、幼い少年とその姉の少女と青年、沈む船、森のオーケストラ、孔雀の羽、渡り鳥の大群、走るインディアン、天の川の魚、赤く光る蠍、白い十字架、など二人が旅する銀河の星々が煌めく世界が拡がる。その煌めく世界の様々な出来事と出会った人々との別れのあと、ジョバンニは丘の上の草の中で眠りから覚める。現実にもどると友人のカムパネルラの死を知らされる。

子どものころに読んだ「銀河鉄道の夜」をもうすぐ70歳になる私はぐいぐい引き込まれるように読んだ。「銀河鉄道の夜」をキリスト教や仏教の法華経の教義が暗示されているといわれているようであるが、私にはそうなのかどうかよく解らない。しかし「銀河鉄道の夜」をあらためて読んで、生まれてきた命すべては祝福され平等であり、キリスト教的にいえば愛(アガペー)に、仏教的にいえば大悲につつまれているのだという宮澤賢治の高らかな賛歌が聞こえるように感じた。

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