命の大切さについて

今朝のラジオ番組をなんとなく聴いていたら、学校で行われている自殺防止対策教育について仏教の僧侶が話をしていた。確かに文部科学省では「学校における自殺予防教育導入の手引」を3年前に作成して学校教育にも使われているようである。僧侶の話の主旨は〈教育の現場では命の大切さを尊いもので、美しいもので、大事なものであると教えていて生徒も命の大切さをそのように理解している。命を大切にするということはどういうことかという質問をするとよくわからないけどとにかく自殺をしないことと答えると一応正しい答えだということになっているようだ。そうすると自殺をすることは尊く美しい生き方を捨てた間違った行為となる。私は命の大切さをそのように理解することに対してとても危惧を感じる。〉という内容であった。自殺を肯定すべきだというのでは決してない、自殺をする人は色々な事情があって悩みに悩み、考えに考え、切羽詰まった末に選択した行為を綺麗な言葉だけを並べて正否を断じることの危うさを感じた僧侶の言葉が腑に落ちた。それではどうしたらいいのか、ラジオを聴いて果たして私は自分自身にすら命の大切さについてきちんと応えられていないことに気付かされた。

日本では一日に約100人の人が自殺をしているともいわれる。厚生労働省の自殺対策白書のデータによれば、自殺者数は高度成長時をピークに暫時減少しているものの世界では上位の自殺者数に位置していて、自殺者数の年代別と自殺の動機別のデータも見ることが出来る。また厚生労働省では10年前から自殺防止対策を検討している。いじめ、過重労働などによる自殺が社会問題化するなか国が対策を講じることは理解できるが、自身を自殺に追い込む人たちに救いの手を差し伸べることに限界はある。国ではないが、いのちの電話という社団法人があり悩める人の受け皿として一定の役割を担っている。しかしいのちの電話に連絡をする人はまだ一条の生きる意思があるとも考えられ、連絡をする余裕もなく絶望の淵にいる人や、そもそもその存在も知らない人も多いと思う。

教育の現場で命の大切さを正否で理解する危うさに戻るが、それではどうしたらいいのか、少なくとも答えはひとつということはないと思う。音楽、絵画、映画、文学、歴史、科学、自然、宗教、家族、人との出会いなどに触れて命の大切さを感じることもあるだろう。また、人間以外の生命体との共生という視点も無視できないだろう。私たちひとりひとりが心で感じ、理性で考えることが大切だと思う、・・・いやこれも綺麗ごとの域を越えていない。言葉を連ねればますます隘路に迷う。

※2017.5.23 加筆訂正

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