宇治拾遺物語

以前に図書館で借りた本「物語をものがたる」に触発されて角川ソフィア文庫〈宇治拾遺物語〉を読んだ。

「物語をものがたる」三部作
「物語をものがたる」三部作

「物語をものがたる」は私がこのブログに投稿したことがある河合隼雄の対談集「続・物語をものがたる」、「続々・物語をものがたる」の三部作で、季刊誌「創造の世界」に連載したものを纏めた本である。内容は日本の古典文学について小説家、詩人、随筆家、評論家、研究者など古典文学に精通している人との対談集で、〈とりかえばや物語〉〈竹取物語〉〈日本霊異記〉〈寝覚物語〉〈堤中納言物語〉〈とはずがたり〉〈落窪物語〉〈宇治拾遺物語〉、〈御伽草子〉〈宇津保物語〉〈雨月物語〉〈源氏物語〉〈今昔物語〉〈住吉物語〉〈伊勢物語〉〈更級日記〉〈大和物語〉〈蜻蛉日記〉など中古、中世の古典文学をとりあげている。

私は恥ずかしいのだが日本の古典文学に関しては〈方丈記〉〈徒然草〉など建築思想に関与したものぐらいしか読んだことがなく、まして手にしたこともなかった。

話は飛ぶようだが、明治以降の日本は政治、文化、芸術、学術などで外国との交流、外国からの影響を受けながら今に至っている。善し悪しは別にして現在もグローバルな状況は広まり深まる一方である。そうだとしたら、そもそも日本人の根付いていた思考の源泉は何だったのか確認しておいたほうがいいのではないかと私は前からぼやっと感じていた。そこで「物語をものがたる」三部作を読んだのをきっかけに、この本に挙げられている全ての古典文学に触れるのは無理だとしても興味のあるものだけでも読もうと思った。

日本人の思考の源泉を探った名著といえば、鈴木大拙・著「日本的霊性」、折口信夫・著「死者の書」、中村元・著「日本人の思惟方法」、九鬼周造・著「いきの構造」などが挙げられよう。また河合隼雄が〈古事記〉における中空と均衡のシステムを西欧の中心統合のシステムと相対させながら日本人の心性を提示した名著「中空構造の日本の深層」も外すことはできない。この「中空構造の日本の深層」で取り上げられている〈古事記〉を含めて、河合隼雄は日本の古典文学に日本人が持っていた心性を求めるべく「物語をものがたる」三部作を上梓している。

 

角川ソフィア文庫「宇治拾遺物語」
角川ソフィア文庫「宇治拾遺物語」

そこでまずはじめに角川ソフィア文庫〈宇治拾遺物語〉を読むことにした。この文庫本は序と197話の内の序と37話を取り上げ、原文と現代語訳と説明がとてもわかりやすく編集されている〈宇治拾遺物語〉の入門書である。

第一印象はなんと面白い説話集だろうということだった。序では〈宇治拾遺物語〉の成立や書名に触れている。〈宇治拾遺物語〉は宇治大納言つまり源隆国(みなもとのたかくに 1004~1077)がいろんな人から昔話を聞き書きした説話集・宇治大納言物語に漏れた説話を拾い集めたものだとあるものの、最後の部分ではよくわからないと書いている。そもそも宇治大納言物語という作品は現在まとまった形で残っていないので成立の真偽を確認する手立てはない。事ほど左様に〈宇治拾遺物語〉は全編にわたって虚々実々の説話で成り立っていて、それが面白いエンターテイメント説話集となっている。

また、民話でお馴染みの〈わらしべ長者〉〈雀の恩返し〉〈こぶとりじいさん〉、そして芥川龍之介の作品〈鼻〉〈芋粥〉〈地獄変〉〈龍〉の原点が〈宇治拾遺物語〉にある。そしておそらく日本の作家による膨大な小説の多くは〈宇治拾遺物語〉のエッセンスと何らかの形で繋がっているのかもしれないと思わせるほどである。

中世にこのような面白い説話集が成り立っていたことを考えると、驚くと同時に諧謔、信仰、畏怖、寛容などが入り交じったこの時代の日本人の心性の一面を垣間見ることができる作品だった。

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