対話と圧力

今年になって北朝鮮は日本に向かってミサイルを失敗を含めて14回にも亘って発射し、2006年から今年9月3日まで6回にも亘って核実験をしている。特に8月29日には北海道上空を越えて襟裳岬沖約1180km、9月15日には同じく襟裳岬沖約2000㎞にミサイルを発射していて、日本だけでなく世界に不安と脅威がたかまりつつある。

8月29日のミサイル発射と9月3日の核実験のあと、国連安全保障理事会は9月11日に新たな制裁決議を全会一致で採択し、北朝鮮に対して圧力をかけた。厳しい制裁に慎重であった中国やロシアも賛成に回ったもののまだ対話の道を閉ざすほどのものともいえない。また日本のメディアも対話か圧力かという報道で終始している。

私には北朝鮮に対してこのような表層的な対話か圧力かという対応で事態が収束するようにはどうしても思えない。それは休戦中とはいえ未だに続いている朝鮮戦争に深く関与する事態なのであり、近現代史を通して歩んできた朝鮮半島の歴史をきちんと踏まえて考える必要があると思うのである。

少し朝鮮半島の近現代史を振り返れば、1897年に朝鮮半島は大韓帝国として独立国であったが、事実上は清国との間では君臣関係だった。そこで1904年から清国から真の独立国を目指して日韓協約を結ぶ。そして太平洋戦争が終わるまで日本によって併合されていたが、太平洋戦争後に日本に勝利した連合軍は朝鮮半島が独立するまでの最大5年間、アメリカ・イギリス・旧ソ連・旧中華民国で共同統治することになっていた。しかし太平洋戦中の水面下で始まっていたアメリカと旧ソ連の勢力争いが表立ってきて、南北それぞれで選挙が行われて38度線を挟んで南北分断となった。

1948年、南では李承晩が大統領になって大韓民国(以下、韓国とする)を樹立、北では太平洋戦争中に旧ソ連軍の大尉だった金日成が首相となって朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮とする)が成立する。

1950年、北朝鮮支配による朝鮮統一を望む金日成はスターリンと毛沢東の後ろ盾で韓国に侵攻し、開戦からわずか三日でソウルを占領した。国連安全保障理事会は北朝鮮に対して戦争の即時停止と38度線への撤退要求を決議するも北朝鮮は無視をする。安保理は国連軍を結成、アメリカ軍を中心とする国連軍は北朝鮮を朝鮮半島国境まで追い詰めるが、そこに中国から義勇軍が参戦し38度線を境に拮抗し、停戦交渉のすえ1953年7月に休戦協定が調印される。朝鮮戦争はいまも休戦状態のままなのである。

そして金日成のあと金正日、そして金正恩は金日成の北朝鮮支配による朝鮮統一を目指して核保有、核実験、核弾頭ミサイルなど今の振る舞いを続けている。

私は北朝鮮のこのような振る舞いを絶対許してはいけないと思っている。しかし北朝鮮に対して北朝鮮支配の朝鮮統一ではない近現代史を踏まえた北朝鮮が妥協しうる別の選択を世界が提示する努力なしに今の事態が解決できないのではないかと思うのである。北朝鮮のミサイル発射と核実験を身近に恐怖と感じつつ、そしてもちろん容易なことではないとは思いつつそんなことを考える。

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