建築と文学そしてアート

正月の間、2冊の本を読んだ。

「人生読本 住まい」
「人生読本 住まい」

「人生読本 住まい」(初版・昭55年1月15日だからおそらく絶版かもしれない)を京王百貨店の古本市で見つけて購入したのはいつだったかもう覚えていないが、いまでも思い出したように気になった箇所を読み返している。この本は29人による随筆と2人の対談で成っている。その執筆者と対談者は、建築に関係した4,5名を除けば小説家や詩人などによる随筆のアンソロジーである。

「住まい」という言い方は「住宅」という物理的なことに限定しない。「住宅」は大工さんやハウスメーカーや建築家といったいわゆる専門家によって提供されるものだが、「住まい」はそこに住む人の人生と大きく関わっていて専門家の仕事を超えて人間の生き方そのものを考えることだといえる。

そういう考えに立ってこの本を読むと、小説や詩などを書く生業をとおして、また自らの暮らしをとおして「住まい」について綴る随筆は建築、特に建築家の「住まい」論とはひと味もふた味も違っている。

建築家といっても一人一人それぞれに設計思考が異なっているから単純に言えないものの、建築家は小説家や詩人の「住まい」について書いたこの本に目を通すことぐらいはしておいたほうがいいのではないか、そういう気分で時々読み返すようにしている。

「建築文学傑作選」
「建築文学傑作選」

もう一冊は、ずっと前から友人から薦められていた青木淳・選「建築文学傑作選」である。青木淳(1956.10.22~)は著名な建築家の一人で青木淳の事務所からは新進気鋭の建築家を多く輩出している。

青木淳はあらゆるジャンルの本に精通する読書家でもあり、その読書歴から文学の中から建築的な視点に換えて読み取れると感じていた。建築家の設計手法には色々あってこれがそうだと言えるものではない。しかし、一般の方にはとても分かりづらいことだが、建築家に胚胎する「隠喩」、「見立て」、「置換」、「脱構築」、「寓意」、等々といった概念というか想念というかスケッチにすらならない抽象的設計プロセスを大切にする建築家もいる。青木淳もその一人と言えるだろう。「建築文学傑作選」はそういう建築家でもあり読書家でもある青木淳が選び抜いた文学のアンソロジーである。確かに選ばれた文学を読むと青木淳の建築手法のヒントを掬い取れるように感じる。私はこの本こそ建築家より一般の方にこそ読むに相応しいのではないかと思う。というのは、本を読むとき自分はどのようなテーマで何を読むかと悩んでいる方も多く私もその一人である。その意味でこの本は非常に参考になると思うのである。

 

「言語と美術ー平出隆と美術家たち」展
「言語と美術ー平出隆と美術家たち」展

ところで「建築文学傑作選」の中の「日は階段なり」の著者である平出  隆の展覧会「言語と美術ー平出  隆と美術家たち」展がDIC川村美術館で今月14日まで開催されている。「言語」と「美術」が生み出す「対話」の多様性が青木淳による会場構成で表現されているという。

「建築文学傑作選」の読み取りをこの展覧会場で可視化実験しているのかもしれない。

 

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