核のごみ

今月2日に放映されたETV特集「“核のごみ”に揺れる村〜苦悩と選択 半世紀の記録〜」を観た。

核のごみというのは原子力発電の使用済み核燃料を再処理したあとにでる「高レベル放射性廃棄物」のことである。日本で原発利用がスタートしたのはおよそ半世紀前で、いままでに排出された核のごみの最終処分場はいまも決まっていないまま青森県上北郡六カ所村に一時的に保管されている。

一時保管に反対する地元住民がいるなか、1994年(平成6)に国は六カ所村が核のごみの最終処理場に選定されることはなく、将来必ず一時保管場所である六カ所村から核のゴミを移転させることを約束し、村は一時保管の受け入れを選択した。最終処理場が決まっていないにも関わらず六カ所村を一時保管とした根拠のない先送り行政の姿だった。たしかに人口減少、農業、水産業の衰退など六カ所村が抱えていた状況にあって一時保管場所として選定されることによって村の経済は安定した現実はある。しかし常に放射能汚染の危機に晒されている現実もそこにある。

経済産業省は2015年5月に核のごみの最終処分に関する新たな基本方針が決定され、その中で最終処分場の地層処分として相応しいかどうかを示す科学的特性マップを示しているが、最終処理場として手を挙げる自治体は未だに無い。今月14日、東京電力が福島第二原発を廃炉する方針を表明した。しかし原発廃炉といっても廃炉へのみちすじは難しく、核のごみの問題が解決するわけではない。

国、電力会社、電力の恩恵によって繁栄してきた日本の社会構造、そしてその社会構造のなかで生活している私たちは一体何をしてきたのだろうか。私たちの次世代を担う人たちにこの不条理をただ無力にも手渡すしかないのだろうか。これは沖縄米軍基地の問題と通底する事態だと思う。

 

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