椅子

私たちの暮らしを見渡せば「衣・食・住」の用に供する物に囲まれている。そのなかでも衣服や食器など「衣・食」に関しては比較的手軽に自分で手に入れることはあるが、「住」に関してはなかなかそうはいかない。それでも「住」のなかには家具や照明器具などは自分でお気に入りの物を選んで誂える。私は設計の仕事をしていたので今でも人が住まいの中にどのような家具や照明器具を選ぶか関心がある。住宅の設計の際、最初からある家具や照明器具をイメージして設計する場合もあれば住宅ができる段階である家具をイメージする場合もあり、また住宅ができてからある家具を選びクライアントにアドバイスする場合もある。しかしクライアントと意見が合わず嘆息し落胆することもあるが、クライアントに丁寧に説明をしてお互いにイメージを共有してその住宅に家具や照明器具が収められると本当に設計の仕事をして良かったと思う。

特に椅子は直接人の身体に触れる家具であり、建築家がもっとも関心をもつ家具である。コルビュジエ、ミース、ライト、アールト、ブロイヤー、サーリネン、吉村順三、ヤコブセン、リートフェルト、イームズ、ウェグナー、フィン・ユール、ラーセン、ヤルク、柳宗理、剣持勇、倉俣史朗などがデザインした有名な椅子があり、建築家自身が椅子をデザインしていることが多い。おそらく意匠と機能を両立させるということに椅子と建築の設計が共通しているのだと思う。

椅子といっても仕事、休憩、食事など色々な機能に対応することが前提にあるが、まずは座る心地良さが大切であり実際に座ってみなければ自分にとって良い椅子かどうかはわからない。そこに椅子の設計の難しさがある。上記の著名な人たちのデザインによる椅子であっても必ずしも座り心地の良い椅子とは限らない。住宅の設計にも同じことが言える。建築雑誌に載る著名な建築家による設計の住宅が必ずしも住みよい住宅とは限らない。建築家からは住みよい住宅だけを考慮すればつまらないものしかできないという声が聞こえることもある。それでも左手と右手がうまくポンと合うと良い音が響くように意匠と機能をうまく両立させれば良い椅子も良い建築もできる。

椅子のことを書いた序でだが、人が生きるということももしかしたら同じ事が云えるかもしれない。自分の中にも外にも相反することがよく起こる。相反することをどのように受け入れてどのように超克するか、そのことを踏まえてきちんと生きている人に会うと憧れる。しかしこの歳になってもまだまだできていない自分がいまここにいる。

ファン・ゴッホの椅子
ファン・ゴッホの椅子

椅子のことからとりとめのない話になったが、私たちの暮らしにあるどんな椅子でもあらためてじっと見ていると、その椅子自体がそこに生活する人の暮らしぶりを語っているように感じることがある。「ファン・ゴッホの椅子」が画家ゴッホの人生そのものを語っているように。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。