西行

ここ数年、環境汚染による影響だといわれる大地震、大型台風、火山噴火など巨大災害が連鎖的に起こっている。そしてこのたびの新型コロナウイルス蔓延が世界中に起きている。これからも巨大災害や疫病の蔓延が私たちに脅威と不安を齎し続けるのだろうか。このように想念していると、平安時代から鎌倉時代に渡って広まった末法思想と重なる。この時代は摂関政治衰退によって生じた戦乱や頻繁に起こる災害など終末感が充満していた。そこに厭離穢土、欣求浄土という汚辱に満ちた現世から清浄な極楽浄土へと説く浄土信仰が人々の心を捉えていった。そして空也、源信といった浄土信仰の背景のもと、法然(源空)によって昇華した浄土宗に不安に駆られていた人々が救いを求めるようになった。

そんな末法の世に西行(俗名:佐藤義清 1118~1190)は生きた。私は西行が武士の身分を捨てて出家した理由を上記に書いた末法思想の影響だと思っていた。しかし、友人の死によって無常を感じて出家、高貴な女性に失恋して出家、私が思っていた理由の末法の世に感じる無常から仏教に救いを求めて出家、摂関政治の政争で感じた武家の世界への失望から出家・・・など出家の理由は諸説あって未だに分かっていないようである。

 

小林秀雄「モーツァルト・無常ということ」
小林秀雄「モーツァルト・無常ということ」

小林秀雄の「モーツァルト・無常という事」にある「西行」の中で、出家の理由など全く興味はないとし、出家の想いを感じさせる西行の歌を挙げながら、これらの歌であっても出家やら厭世やらではなく・・・青年武士の、世俗に対する嘲笑と内に湧き上がる希望の飾り気のない鮮やかな表現だ。彼の眼は新しい未来に向かって開かれ、来たるべきものに挑んでいるのであって、歌のすがたなぞにかまっている余裕はないのである。・・・と書いている。なんと清々しい西行観だろうか。この本を読んでから西行の出家の理由に拘るのでなく、純粋に西行の歌を味わうことのほうがずっといいと思うようになった。

 

白洲正子「西行」
白洲正子「西行」

そして、白洲正子の「西行」を読んだ。西行は23歳のとき出家し、洛外に草庵を結び、27歳のとき東北陸奥に旅し、32歳のとき高野山に草庵を結んで吉野を愛着し、50歳のとき四国行脚をする。そして63歳のとき伊勢の二見浦に草庵を結び、70歳のとき嵯峨に草庵を結ぶ。出家といっても漂泊の歌聖として約2,300首もの歌を遺している。この本は白洲正子が西行の漂泊の跡をたどりながら歌の読み込みを丹念に紡いで歌の味わいに誘ってくれる本で、引き込まれるように読んだ。

 

 

「西行全歌集」
「西行全歌集」

また、白洲正子の「西行」と一緒に岩波文庫の「西行全歌集」を参照した。山家集上中下、聞書集、残集、御裳濯河歌合、宮河歌合、拾遺と西行の歌を網羅していてこれからも書棚から手にとって頁を綴ることが多くなりそうである。

 

 

世界に蔓延している新型コロナウイルスへの不安と苛立ちの中、西行に想いを寄せてみた。そして小林秀雄の西行観にふれて私に漂う不安と苛立ちが和らいでいくように感じ、西行の歌の味わいに心が安らいでいくように感じた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。