「聲のさざなみ」

「聲のさざなみ」
「聲のさざなみ」

知人から譲って頂いた本「聲のさざなみ」を読んだ。

著者の道浦母都子(歌人1947.9.9~)が十人の女性についてそれぞれの生き方に触れ、それぞれの言葉を交わしたエッセイを隔月刊「ミマン」に連載したものを纏めた単行本である。

「おみなよりおみなに渉る海原の虹のごとしも聲のさざなみ」

本の題名は上記の著者の短歌から採っている。著者の説明に依れば「ここに登場してくださった十人の女性の方々の聲が、さざなみのように広がり、海に架かる虹のようになってほしい、との願いからである。」とある。

おみなは古語で嫗(おうな)のことで著者は敬愛の意で使っていることは最初のページを開くだけで解る。十人のおみなとは・・・鶴見和子(社会学者1918.6.10~2006.7.31)、岡部伊都子(随筆家1923.3.6~2008.4.29)、志村ふくみ(染織家・随筆家1924.9.30~)、秋野不矩(日本画家1908.7.25~2001.10.11)、冷泉布美子(冷泉家二十四代為任夫人1916~2011.7.12)、桂信子(俳人1914.11.1~2004.12.16)、原田康子(作家1928.1.12~2009.10.20)、大庭みな子(作家1930.11.11~2007.5.24)、篠田桃紅(書家・日本画家1913.3.28~)、石牟礼道子(作家1927.3.11~)・・・である。

この本に書かれている十人のおみなは才媛などという浅薄な言葉で済ますことができない何かを感じる。戦争の時代をそれぞれの思春期、青春期に感じ取りながら感性と理性を研ぎ澄まし、人生の苦難と不条理を見事に乗り越えている。

それぞれ異なった人生を辿る十人のおみなではあるが、「一本スジが通っている」ということが通底しているように思う。そのスジというのは鋼のような剛なスジというよりは竹のようなしなやかなスジというイメージである。逆の言い方をすれば人生の苦難と不条理を乗り越えるためにはしなやかではあるが一本のすきっとしたスジを芯に持っていなければならない。

そして著者である道浦母都子は十人のおみなの一本のスジに魅せられながらも自身の中にある一本のスジを確認するためにこの本を上梓したに違いないのではあるまいか。

この本は人が生きていく上で何が大切かを少しかもしれないが汲み取ることができた貴重な本だった。この場を借りて譲って頂いた友人に感謝をしたい。

 

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