津軽海峡を巡る

今日は津軽海峡に沿って漁火通から恵山国道を自転車で巡った。

啄木公園
啄木公園

函館山を背にして啄木は何を想う。

 

湯川漁港から函館山をみる
湯川漁港から函館山をみる
湯川漁港から汐首岬をみる
湯川漁港から汐首岬をみる

旅館街から数分歩くと湯川漁港に出る。夜明け前から灯台をすり抜けて津軽海峡の漁場をめがけて漁船が向かう。

 

湯川黒松林
湯川黒松林

1889年(明治22年)から10年を掛けて金森倉庫の創業者である初代渡辺熊四郎(後に孝平と名乗る)が私財を投じて黒松を造林した北海道最初の防風砂防林である。故郷沼津から約20万本の苗を船で取り寄せ試行錯誤の困難を乗り越えて生育させて生き残った黒松が今の状態になっている。長年の津軽海峡からの強風によって黒松が斜めになっているのがよくわかる。

 

志海苔漁港
志海苔漁港
志海苔漁港
志海苔漁港
竹駒稲荷神社
竹駒稲荷神社

根崎町から志海苔町、銭亀町一帯の海岸には昆布干しの風景と磯の香りを愉しむことができる。志海苔漁港にも昆布が整然と干されていた。高台の方には地元の漁師の皆さんの大漁と安全を護ってくれる竹駒稲荷神社があり志海苔漁港を見守る。

 

志海苔館跡
志海苔館跡

志海苔館(しのりたて)は松前藩の史書「新羅之記録」によれば、室町時代頃の安東氏配下豪族・小林太郎左衛門良景の城跡で国史跡である。1456年(康正2年)、志海苔館付近で和人の鍛冶屋と客のアイヌの人との諍いから鍛冶屋がアイヌの人を殺害、このことから渡島半島東部のアイヌ首領・コシャマインが中心になってアイヌが武装蜂起、翌年にアイヌ軍は道南十二館のうちのひとつであったを志海苔館を攻め落とした。戦いのあと、再び小林太郎左衛門良景が館に居住していたが、1512年(永正9年)4月にアイヌが蜂起し志海苔館が陥落した。郭内には14世紀末から15世紀にかけて存在していたと思われる建物、柵、堀、井戸などの遺構や中国陶磁器、国産陶磁器、古銭などの金属製品、硯・砥石などの石製品、箸・曲もの・桶などの木製品といった遺物も発掘されている。

 

志海苔(銭亀)漁港
志海苔(銭亀)漁港
志海苔(銭亀)漁港
志海苔(銭亀)漁港
銭亀八幡神社
銭亀八幡神社
銭亀八幡神社近くの昆布加工屋さん
銭亀八幡神社近くの昆布加工屋さん
昆布加工屋さんの愛犬
昆布加工屋さんの愛犬

志海苔(銭亀)漁港にも地面一杯に昆布干しが見られた。ここにも大漁と安全を見守る神社が高台にあった。神社の近くで昆布を加工する仕事場があり、昆布加工ひとすじのご夫婦からお仕事のことや町のことなどのお話を伺うことができた。最後にご夫婦の愛犬がお別れの愛想をふりまいてくれた。

 

啄木をやり過ごし、湯川の温泉街を過ぎるとすぐに昆布干しの風景と磯の香りがする町々、漁を護る神社、仲のいい銭亀のご夫婦との会話、そして仔犬と友達になってもらったこと、、、今日はゆっくり自転車で愉しむことができ贅沢な一日だった。

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