茨木のり子

倚りかからず
倚りかからず

友人から譲っていただいた詩集「 倚りかからず」を読む。作者は、詩人・随筆家・童話作家・脚本家と定まりきれぬ立場で言葉を紡ぎ続けた茨木のり子(1926.6.12~2006.2.17)である。詩集「 倚りかからず」だけでなく茨木のり子の詩作は私がいままで抱いていた詩のイメージとはひと味違う感触があるのは、詩でありながら、随筆でもあり、童話でもあり、小説でもあり、自然誌でもあるからだろう。

茨木のり子は戦前、戦中、戦後、高度成長、現代を生きた人である。つまり日本の近代化プロセスのただ中で生きた人である。茨木のり子は、日本という国が近代化プロセスを歩む手段として積極的に選んできた経済至上主義、合理至上主義、集団至上主義に対して不安と懐疑と抵抗の心情を内面に発酵させ言葉に醸成させた人だと思う。

1981年4月22日にマザー・テレサが来日したとき、マザー・テレサは、日本の豊かさの中にも孤独で恵まれない人もいるのにその人になぜ手をさしのべないのか、日本人の経済の豊かさに隠れた心の貧しさを指摘していた。

詩集「 倚りかからず」の中にある「マザー・テレサの瞳」という詩を最後に引用してみたい。

 

マザー・テレサの瞳

 

マザー・テレサの瞳は
時に
猛禽類のように鋭く怖いようだった
マザー・テレサの瞳は
時に
やさしさの極二つの異なるものが融けあって

妖しい光を湛(たた)えていた
静かなる狂とでも呼びたいもの
静かなる狂なくして
インドでの徒労に近い献身が果せただろうか
マザー・テレサの瞳は
クリスチャンでもない私のどこかに棲みついて
じっとこちらを凝視したり

北を示してもいた
またたいたりして
中途半端なやさしさを撃ってくる!

鷹の眼は見抜いた
日本は貧しい国であると
慈愛の眼は救いあげた
垢だらけの瀕死の病人を
- なぜこんなことをしてくれるのですか
- あなたを愛しているからですよ
愛しているという一語の錨(いかり)のような重たさ

自分を無にすることができれば
かくも豊饒なものがなだれこむのか
さらに無限に豊饒なものを溢れさせることができるのか
こちらは逆立ちしてもできっこないので
呆然となる

たった二枚のサリーを洗いつつ
取っかえ引っかえ着て
顔には深い皺を刻み
背丈は縮んでしまったけれど
八十六歳の老女はまたなく美しかった
二十世紀の逆説を生き抜いた生涯

外科手術の必要な者に
ただ包帯を巻いて歩いただけと批判する人は
知らないのだ
瀕死の病人をひたすら撫でさするだけの
慰藉(いしゃ)の意味を
死にゆくひとのかたわらにただ寄り添って
手を握りつづけることの意味を

- 言葉が多すぎます
といって一九九七年
その人は去った

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