飛騨市長の都竹淳也さん

子への虐待、家庭内暴力、身体に障がいをもつ人や心に障がいをもつ人への暴力、高齢者施設内で起こる虐待、学校や会社で起こるいじめ、社会への適応に悩む人への偏見、などなど立場の弱い人に対する身体的虐待や精神的虐待はかなり前からある。そして今もますますその状況は増えているように思う。

そんな事を考えていたとき、知人から岐阜新聞のコラム「素描」の昨年2月11日投稿記事を教えていただいた。投稿者は飛騨市長の都竹淳也さんである。

2018.2.11掲載の岐阜新聞「素描」から
2018.2.11掲載の岐阜新聞「素描」から

都竹さんは行政職員だったとき、弱い立場の人たちのために何をすべきか考えながら仕事に腐心し、市長になって行政職員だった思いを更に市政に取り組む努力をされている。この思いは障がいをもつご子息の存在が大きいと虚心に吐露している。

他の自治体の首長も立場の弱い人への施策にその自治体の事情に沿って取り組んでいると思うが、厳しい財政のなか色々な事業の歳出とのバランスで悩ましい市政にあることは理解できる。しかし、立場の弱い人たちへの虐待や偏見が増えている状況を少しでも解決するには財政も必要だが私たちひとりひとりの理解や協力を促進することも必要ではないだろうか。NPO団体への支援も必要だと思う。

飛騨市長の都竹さんのこの投稿記事は私を深く考えさせてくれる貴重なきっかけになった。私たちの心の中に弱い立場の人への虐待や偏見の潜みがないと本当に言えるだろうか。弱い立場の人への虐待や偏見は私たちにとって決して他人事ではないのである。

 

 

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