沖縄戦終結から76年

今日は沖縄戦終結から76年目の慰霊の日である。

今年も雨の降りしきるなか、糸満市摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼が行われた。新型コロナウイルス感染拡大防止のため参列者を制限しての追悼式だった。参列者の献花そして沖縄知事の平和宣言のあと、宮古市立西辺中学二年の上原美春さんによる平和の詩の朗読があった。タイトルは「みるく世の謳(うた)」だった。「みるく世」は沖縄の言葉で「平和な世界」という意味である。上原さんの姪が生まれたとき、語り継がれた76年前の出来事に想いを馳せながら生まれたばかりの新しい命に謳う

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忘れないで、犠牲になっていい命などあって良かったはずがない事を

忘れないで、壊すのは簡単だという事を

もろく、危うく、だからこそ守るべきこの暮らしを

忘れないで、誰もが平和を祈っていた事を

どうか忘れないで、生きることの喜び

あなたは生かされているのよと

略・・・

最近、新型コロナウイルス感染の影響から24万人以上の戦没者の名前が刻まれている平和の礎を訪れる人の数は少なくなっているという。この中学二年の少女の平和の詩を聴くと、戦争の悲惨さ残酷さを語り継ぐことの大切さ、そして平和の大切さをあらためて思う。


数日前、日曜美術館という番組を観た。そこに、この番組の出演者が作品の前に立って言葉を発することが出来ず感涙する映像が映し出されていた。その出演者の前に展示されていた作品は「沖縄戦の図」だった。私はこの作品を未だ実際に観たことがないが、この番組をとおしてだけでも沖縄戦の悲惨さが伝わってくる。その作品の作者は丸木位里・俊夫妻である。

位里さんは水墨画家、そして俊さんは油彩画家で同じ画紙に描くためその表現は唯一無二のタブローとなっている。私は40年くらい前に埼玉県にある丸木美術館で「原爆の図」を観たことがある。以来、丸木位里・俊夫妻の「南京大虐殺の図」「アウシュビッツの図」「水俣の図」など、私の意識の中のどこかに在り続けていた。

「沖縄戦の図」は丸木夫妻が1982年に首里に家を借りて制作したという。日本が残した沖縄戦に関する画像記録は無く、今私たちが見る画像記録は全てアメリカのものだという。丸木位里さんは言う、日本人からみた沖縄戦を描かねばならないと。そして普天間基地に隣接する佐喜眞美術館の「沖縄戦の図」をとおして沖縄戦の悲惨さや残酷さを後世に語り継ぐ。なお、佐喜眞美術館の設計者は真喜志好一さんという建築家である。真喜志好一さんは周辺環境と共生し、自然を生かす建築を目指すことを設計のテーマにする建築家でもあり、沖縄の基地を含めた沖縄が抱える課題に対しても活動している。

ところで、正直に云えば私は丸木位里・俊夫妻の一連の作品を観る度にその凄絶な迫真の故に一瞬たじろぎ正視に耐えることができなくなることがある。しかし、たじろぎながらも作品と向き合って人間の不条理、いや自らの中に潜む不条理と葛藤しなければならないと思うのである。


 

※ いままでこのブログで慰霊の日に沖縄について投稿しています。

2018.06.23 沖縄戦終結から73年

2019.06.23 沖縄のこと

2020.06.23 沖縄戦終結から75年

 

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