「沈黙」

遠藤周作の「沈黙」が出版されて50年経つという。

遠藤は12歳のとき自分の意思によらないまま洗礼を受けている。その後大人になる過程で自分がクリスチャンであることを素直に受け入れられず悩み続ける。27歳のときカトリック文学を学ぶためにフランスのリヨン大学に留学して帰国するが、ますます自分が信仰者であることに確信が持てず自己葛藤のなかでこの「沈黙」を執筆する。

私は今でも特定の宗教を信仰している訳ではないが、そもそも宗教というのはどんなことが教えとしてあるんだろうという素朴な思いは以前から持っていた。そんなとき多分20代後半にこの「沈黙」を読んだ。あの当時キリスト教というのがよくわからなく本屋で聖書を立ち読みしてもなにがなにやらさっぱりであったが、「沈黙」を読んでキリスト教理解への距離が少しだけだが近くなったと感じた。

遠藤が自己葛藤したのは、幼いころに連れて行かれた教会での教えや若いときに留学したフランスのキリスト教観と日本人である自分とに全き一致を見いだせないことであったと思う。そこで悩める遠藤は新約聖書を貫くキリスト教の根源的意味を探りながら「沈黙」というテーマで小説を書き込んだのだ。おそらくそういう小説だから私がキリスト教理解の端緒を感じることができたのかもしれない。

ところで1971年に篠田正浩監督による映画「沈黙」が公開されたが、来年2017年1月にマーティン・スコセッシ監督による映画「沈黙」が公開されるという。日本人である遠藤が書いた「沈黙」をスコセッシがどのように映画化したかとても興味がわく。

映画「沈黙」:http://chinmoku.jp/

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