1904年にサラサーテ(1844.3.10~1908.9.20)自身が演奏した10インチのレコード盤「ツィゴイネルワイゼン」の中で演奏が始まってから3分30秒位のところで微かに人の声が入っている。このことは以前から人口に膾炙しているが、何を言っているのか謎のままである。このレコード盤をモチーフにした内田百閒(1889.5.29~1971.4.20)の小説「サラサーテの盤」を読んだ。
ちくま文庫の内田百閒集成は全24巻あって第4巻に「サラサーテの盤」(1980年に鈴木清順監督による映画「ツィゴネルワイゼン」が公開されている)がある。内田百閒は不可思議な世界を描く小説の書き手として有名だが、所謂怪奇小説とは趣を異としているように思う。ごく平易な文体で淡々と綴られる物語は、読後に読み手の身体の中を霊妙な方角から吹いてくる涼やかな風が通り抜けていくように感じる。それは内田百閒が三島由紀夫をして随一の文章家と言わしめるほどの小説の名手だからだと思う。
第4巻には「サラサーテの盤」を含めて16話が載っていてどれも内田百閒の文体と物語の魅力に引き込まれ、就寝前に部屋を暗くして読書灯の下で読むのが私の至福の時である。
内田百閒は人の声が入っているレコード盤をどう聴いたのだろう、どのような感想を持ったのだろう、、、小説「サラサーテの盤」の中で読み解くしかないが読み解くことにあまり意味はないように思う。寧ろ読み手自身が思いのまま夢想する愉しみに浸ればいい。それも贅沢な読書の時間である。残暑が続く夜にお薦めの一冊である。