「夢十夜・他二編」

「夢十夜・他二編」
「夢十夜・他二編」

夏目漱石の「夢十夜・他二編」を読む。小説には長編、短編というような形容がつくことが多いが、この「夢十夜・他二編」は短編でも小品と評せられているようである。絵画、彫刻、音楽、映画などの作品の中にも小品と評せられる場合もあるが、そもそも小説のなかの小品とはどんなものかを定義するのは難しい。ただ「夢十夜・他二編」を読むと、画家が描くクロッキーやデッサンを想起し、この小説が小品だということがなんとなくわかるような気がする。

漱石の作品を読んでいると慢性的に胃弱、神経症であったことが漱石の文学性に影響していると感じることが多く、「夢十夜」を読むと特にそう感じる。「病み」と「闇」という共通した読み方の文字の頭に「心の」という文字を冠してみると漱石が「夢十夜」を書いているときの精神の有様が伝わってくるようである。

人が夢をみたあとに感じる味わいは人それぞれ違うだろうが、夢と現実の境がはっきりせず混在して感じる場合もあれば、荒唐無稽の夢から覚めて現実に引き戻される感じもあるだろう。夢見の後味が良かろうが悪かろうが異次元の時空に漂うところが夢の面白さだと思う。「夢十夜」に綴られている漱石の十夜の夢に遊んでいると雨模様の鬱々した気分も一時でも忘れることができるそんな昼下がりだった。

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