ドーキンスの仮説

「利己的な遺伝子」
「利己的な遺伝子」

この本「利己的な遺伝子」で進化生物学、動物行動学の研究者リチャード・ドーキンス(1941.3.26~)は(人間を含めた全ての)生物は遺伝子の利己的な延命のための器つまりサバイバル・マシンでしかないという仮説を立てている。同じネオダーウィニストの中でも彼の論説に同意する学者が多い一方、反意する学者も多い。この本のタイトルに惹かれて読んではみても成る程と首肯する一方、もやっとした霧のような懐疑を取り払うことも出来ない。というのもドーキンスが信望するダーウィンの進化論ですら生物は自律と他律の相克のなかで進化と変化を続けていくものであって、単なるサバイバル・マシンという読み取りがどうしてもできないからである。

ただ、霧のような懐疑を意識的に吹き飛ばして気持ちを落ち着かせて左脳だか右脳だかはわからないが働かせてみれば、生物は遺伝子の利己的な延命のためのサバイバル・マシンでしかないという仮説は、案に相違していっそ清新な気分になるのもなぜか不思議である。

「神は妄想である」
「神は妄想である」

ドーキンスはもう一つの仮説を「神は妄想である」という本で立てている。この本が出版された直後から宗教界にとってだけでなくあらゆる人々にとっても過激な本として受け止められた。しかしネオダーウィニストということを考えれば当然の仮説であって何ら不思議なことではない。ただ今まで科学(特に進化論)と宗教(特にキリスト教)の論争の歴史が古くからあったものの、この本のように神は妄想であるとはっきりと断じた生物学者はなかった。この本では聖書の記述に対してドーキンス独自の解釈による科学的矛盾を繰り返し論じ、この世界は宗教によって様々な問題が起こっていることにも論を及ばせている。

しかしこの本を読み進めていくうちに科学と宗教を明確に峻別する境界は本当にあるのだろうかという疑問も湧く。宗教を否定し科学はどこまでも正しいのだという考えも様々な問題を引き起こしているのではなかろうか。例えば、科学者の発明による産物である核兵器・化学兵器、生命倫理から逸脱した医療技術、優生学の名の下に行われたホロコースト、強制不妊手術、障碍を持つ人への殺害・暴力などなど。

ドーキンスの仮説に触れてふと頭に浮かんだのは仏教のことだった。私は仏教を巷間いわれている宗教とは捉えていない。仏教は紀元前5世紀前後に北インドに生まれたゴータマ・シッダールタという一人の人間が悟った哲理のことで、勿論私ごときが言葉にして解釈できることではないが、色々な書物や伝聞で知り得た拙い理解のうえでの仏教、その仏教のことが頭に浮かんだ。

それは「利己的な遺伝子」からは人間が自我から解き放ち空の境地になることの連想、「神は妄想である」からは俗世の人間を超越せる存在は外在する神ではなく自らに内在する悟性にあるという連想だった。

ドーキンスの仮説に対しては当然多様な考えがあると思うが、私にとって考えるべき新たな側面からの問いとして価値のある二つの仮説だった。

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