今日はあるイヴェントで大道芸があった。ギリアーク尼ヶ崎である。ギリアーク尼ヶ崎(本名・尼ヶ崎勝見)は昨日で87歳になったという。旧市立函館中学校を卒業、最初は映画俳優を志すも受けるオーディションに悉く落選し、創作舞踊を学び舞踏家として活動したこともあったがこれもうまくいかない。30代で大道芸に転向し、1968年の38歳で初めて街頭公演を行って以来大道芸ひとすじ現在に至る。
私はギリアーク尼ヶ崎の大道芸を観たのはこれが初めてである。演目は「念仏じょんがら」という念仏踊りだったにも拘わらず、まず最初に感じたのは唐突かもしれないが聖書のマタイ福音書とルカ福音書にある山上の垂訓を弟子の前で説くイエスの姿だった。
舞踏家といえば肉体をとおして自らの芸術的メッセージを表現するアキコ・カンダ、大野一雄、笠井叡、田中泯などが脳裏に浮ぶ。しかし、ギリアーク尼ヶ崎の芸は芸術という意識は一切なく、あくまでも大衆に晒す大道芸に徹しているように感じたことがギリアーク尼ヶ崎の姿とイエスの姿と重なったのだと思う。
じょんがら三味線の響きと彼の身体とが混在一体化して場に熱気が充満する。痺れと震えの難病に冒されたやせ細った身体で踊る姿と、母への思慕を心の奥から絞り出す念仏の叫びに圧倒される。
数十分間の凄みのある渾身の大道芸が終わったあと、ふと魅せた87歳の男の慈愛に満ちた優しい眼差しがそこにあった。