小さな住宅

仕事を辞めても自分が設計した建築のことは自分の頭から離れることがないのは当然だが、今まで見聞きした名建築も時々頭にふっと浮かぶことがしばしばである。特に1960〜1980年代に内外の建築家が多く活躍し建築が工学を超えて文化・芸術の表現形態であることを明らかにしていった。

学生の頃はル・コルビュジェ、ミース・ファン・デル・ローエ、アルヴァー・アールト、フランク・ロイド・ライトといった当時の巨匠といわれた建築家が憧れであった。その後、設計事務所に勤め、独立して自分の事務所を持って仕事をしていく中で、良い建築とは何かを問う自分の姿勢や考えが変遷していく。しかしこの問いは仕事を辞めても未だにはっきりした答えが見いだせないでいる。

さて住宅の設計こそが一番難しいのであるが、いっぽう住宅の設計こそが一番魅力のある仕事だと思う。

数多くの名建築の中でも篠原一男(1925.4.2~2006.7.15)が設計した「白の家」と吉村順三(1908.9.7~1997.4.11)が設計した軽井沢の別荘「小さな森の家」、そしてル・コルビュジェ(1887.10.6~1965.8.27)が設計した「小さな家」が私のなかに大きな存在であり続けている。共通しているのは「小さな住宅」だということだ。私のなかでは個人の小さな住宅が大きな存在になっている。

この三つの住宅に関する本を読むとそれぞれ設計者とクライアントの関係性も違う、場所も違う、当然設計手法も違うわけだが小さな住宅につぎ込む設計者の思い入れがそれぞれ伝わってきて、良い建築とは何かという問いの答えが潜んでいるように思える。

さても設計の仕事を辞めてもなお良い建築とは何かと問い続ける次第である。

2件のコメント

  1. 今日のブログであるが、私ごとで甚だ僭越ですが少しコメントをさせてください。それは学生時代、剛君と電車に乗っていて住宅建築の話になっていた時に冨野の希望する住宅はどのようなものか?と言われ漆喰の白壁で別荘に見られるような洋風な建築が好きだと言ったら外観だけでなく住宅は家族構成、街並み、人の動きの動線に合った設計が必要と熱く語られた。それ以来家を建てるときは剛に設計を頼まなければならないと思い、必死に家を建てる事を念頭に頑張って剛君に基本設計を作ってもらい今の家を建てる事ができた。
    近所の人、親戚には友人の一級建築士に頼んで出来た家と誇らしく言っていたものである。今日のブログを見て自分の建築に対する考えが何もないことに恥ずかしさをおぼえたものである。

    1. コメントありがとうございます。とても光栄です。
      自称建築家と自負している人の多くはあまり深く考えずに表面的な言葉を弄して名声を得て仕事をしているように思います。
      建築は人を包む器、例えば幼い子がその空間で成長していくことを考えれば建築は重要な器です。その器が並んで街を形成する、そのことを考えても器のあり方や並び方も重要だと思います。

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