柳美里

友人から借りた柳美里の小説「JR上野駅公園口」を読んだ。私は柳美里の書いたものをほとんど読んだことがなかった。はっきりとした理由もなくただ読んでこなかっただけのことだが、もしかしたら彼女の作品が私小説に寄りすぎていたことが遠ざけていた理由だったかもしれない。

「JR上野駅公園口」

日本の高度成長のただ中1964年東京オリンピック開催の前年、天皇明仁(現上皇)のご生誕と同じ日に福島相馬郡に生まれた主人公が出稼ぎで上野駅へ降り立った。そして東京オリンピック施設の建設工事の労働者として働く。東京オリンピック施設建設の労働力として東北地方から多くの出稼ぎが安い労賃で支えられていた。戦後の天皇人間宣言から地方にとって行幸啓は文字が表すとおり「天皇陛下、万歳」と叫ぶほどの喜びだった。主人公が生まれ育った福島相馬郡もそういう地方のひとつだった。1960年に現天皇のご生誕と同じ日に息子が生まれて浩宮の名から一字をとって浩一と名付けた。

その息子と妻の死のあと再び常磐線に乗って上野駅に向かう。郷里に戻るにも自分の居場所もなく言いようのない喪失感から上野公園のホームレスとなる。2020年東京オリンピック誘致の最中、上野公園は天皇や皇族が博物館や美術館を訪れるたびに「山狩り」と称してホームレスの排除が行われる。主人公は上野公園を彷徨い自然と上野駅へ足が向いて駅のホームに立つ。電車の轟音の中、東日本大震災の津波にのみ込まれる故郷福島南相馬郡の光景が浮かぶ。そして出稼ぎで福島相馬郡から最初に着いた上野駅ホームの構内アナウンス「まもなく2番線に池袋・新宿行きの電車が参ります、危ないですから黄色い線までお下がりください」で小説が終わる。

柳美里はあとがきでこの小説を構想しはじめたのは12年前だったと書いている。山狩りのことや、東日本大震災後の被災者の話の傾聴など綿密な取材調査によってこの小説がある。戦後人間宣言をした天皇の在り方(天皇制といってもいい)と主人公の生き方との対比、高度成長の象徴である1964年東京オリンピックの影で生きた主人公、それは現代という巨大で空虚な社会から疎外されたひとりの男の物語だった。

この小説は私小説ではない。大上段に振りかざした社会批判小説でもない。ひとりの男の息づかいを想像しながらきめ細かく書き綴った小説だった。

さて今日で2011年3月11日に東日本大震災が起きた日からちょうど10年が経つ。柳美里は震災が起きた年の4月から福島原発周辺地域に通い始め、2012年3月16日から南相馬市役所の臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」で毎週金曜日に「ひとりとふたり」という番組のパーソナリティとして出演をしていて、今は南相馬市小高区でブックカフェ「フルハウス」を営んでいる。何かのラジオ番組で「私は小説を書くにあたってフィクションであっても嘘はつかないようにしている」というようなことを柳美里が言っていたことを思い出す。人間を書くということに誠実さを感じる。東日本大震災から10年目の今、この小説を読んで疎外された人、孤立した人に寄り添うということとは何かをあらためて考えさせられる。

私はこの小説を私小説ではないと書いた。しかし柳美里というその人自身、疎外され孤立した生き方だった。そう生きてきた作家の視座から現代を見つめてきたからこそ書けた小説だと思う。遠ざけていた柳美里の私小説にも触れてみたい。

 

※柳美里オフィシャルサイト:http://yu-miri.com

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