昨日は友人の誘いで函館市内の4施設を巡って蠣崎波響の作品を鑑賞する企画に参加した。
蠣崎波響は1764年(明和元年)に松前藩第七代藩主・資廣の五男(名は廣年)として生まれる。幼いころから絵に才能を発揮し、8歳のとき江戸に出て中国の画家・沈南蘋(しんなんぴん)にはじまる流れをくむ南蘋派に学ぶ。20歳に松前に帰りこのころから波響と号し、27歳に代表作「夷酋列像」を描く。この頃には京都の円山応挙や松村呉春などの画人との交流があった。
1807年(文化4)、蝦夷全域を幕府の直轄となり松前藩は陸奥国伊達郡梁川藩(福島県の梁川)に移封されることになる。波響は松前藩家老として松前藩復領のため尽力し、1821年(文政4)に松前藩復領となり、波響は円熟した作品を描くようになる。そして1826年(文政9)、享年63歳で一生を終え松前の名刹法源寺に眠る。
波響の作品はフランスのブザンソン美術考古学館、函館市立中央図書館、函館市立博物館、北海道立函館美術館、国華山高龍寺、松浦史料博物館(長崎県平戸市)、個人などに所蔵されている。今回は北海道立函館美術館、函館市立博物館、旧相馬邸、国華山高龍寺の4施設を巡った。
最初は北海道立函館美術館所蔵の掛け軸三幅である。左から「瑞鶴祥雛(愛子鶴図)」、「名鷹図」、「唐美人図」で非常に発色もよく見応えがあった。そして六曲屏風一帖もありまだ個人所蔵のため撮影禁止で画像はないがこれも素晴らしいものだった。これらの作品は美術館の所蔵庫での鑑賞で、一般の人が入ることが出来ない所蔵庫はとても貴重な体験であった。
さらに、開催中の「岩船修三展」や常設展示の鑑賞もあり、得をしたスタートだった。
次は函館市立博物館所蔵の掛け軸二幅と六曲屏風二帖である。二幅の掛け軸は「龍虎図」一対で、地下にある茶室・杉花亭の控えの間に龍図の掛け軸、茶室に虎図の掛け軸があった。龍虎とも生き生きとした迫力で鑑賞者の心を引き込む画力を感じさせ、照明を暗くして鑑賞すると龍虎のリアルな表情がこちらに迫ってくるようだった。上階の部屋では六曲屏風二帖があり、六曲の画面それぞれが円山派の流れを感じさせる作品だった。
次に旧相馬邸で昼食をとったあと、まず邸内を説明付きで鑑賞をした。邸内は撮影禁止ということで画像はないが、まさに豪商だった相馬哲平の邸宅らしく豪華な和洋折衷の意匠と工夫を施した外観と内観であり、庭を通してみる函館港の景色も素晴らしかった。そして波響の「管茶山居亭図(廉塾図)」、「野菜之図」などの掛け軸と「四季花鳥図」絵巻を鑑賞した。さらに蔵に所蔵してある絵師・小玉貞良の「江差屏風」、波響の「夷酋列像(複製画)」も鑑賞した。
最後は国華山高龍寺所蔵の作品である。ちょうど公開中の釈迦涅槃図が本堂に掲げられていた。この釈迦涅槃図はとても保存状態が良好で見事な釈迦涅槃図だった。さらに耕雲閣という大広間に四幅の掛け軸が展示されていた。左から「四時競色図」、「鶴亀図」の二幅、「羅漢図」で、これらの掛け軸は今回の企画のために特別に展示していただいたということで、とても貴重な鑑賞だった。
以上、4施設の蠣崎波響作品の鑑賞企画だった。この企画に参加してとても素晴らしい体験をした。あらためてこの企画に誘ってくれた友人に感謝したい。