上の画像は押し入れの奥にあった58年前の今日、昭和33年12月29日の北海道新聞夕刊の「映画演劇案内」である。
「映画演劇案内」には19館もの映画館の案内が書かれてある。昭和25年当時には22館もあったらしい。昭和25年時約22.9万人、昭和33年時約25万人という人口の数字から考えても非常に多くの映画館があり、函館は日本のなかでもトップレベルの映画文化の街であったことがよくわかる。
当時私が住む家の近くには新星映画劇場(新映と言っていた)があって、よく父親が煎餅や蜜柑を持って連れていってくれた。新星映画劇場では東映、東宝、新東宝などの日本映画を観た。洋画であれば巴座、ロキシー、映劇である。当時は館内で煎餅をバリバリ音を立てて食べても文句をつける客は居なかったように記憶している。
新聞の案内をよくみると棒ニ劇場というのがあって記憶にないので函館市史で調べてみたら棒ニデパートの5階にニュー東宝という映画館があったとのこと、正に最先端の映画文化都市である。
また古くからそして今も函館を撮影ロケにした映画が沢山あり、函館の街の空気感をうまく引き出している作品が多いように思う。
現在函館の人口は26.6万人でシネマ太陽函館とシネマアイリスの2館しかないが、それぞれ独自の企画で頑張っている。特にシネマアイリスは面白い自主映画作品を観せてくれて嬉しい。
58年前の新聞、押し入れに良くありましたね。懐かしく見ていました。
ついでにネットで函館の昔の映画館を検索してみました。有りました、かすかに記憶に残って
いる映画館。「銀映座」「湯の川公楽」等、記事の横に赤帽子屋さん提供の当時の写真集も
載っていました。しばし タイムスリップして自分の時間にしたっています。
そうですよね、タイムスリップします。
あのころはまだ馬車が街に通っていたような記憶があります。
半世紀以上が経ちましたね。