広島原爆投下から76年

広島に原爆が投下されて76年目の今日、広島の平和公園で広島平和記念式典が開催された。昨年に引き続き、新型コロナウイルス感染拡大防止ため参列者を制限しての開催だった。1945年8月6日朝8時15分、米軍機によって広島中心部の相生橋めがけて投下された原爆、数千度の熱線と爆風と放射線が人々の暮らし、営みを一瞬にして奪い、その年で約14万人の人々の命が亡くなった。今年も原爆死没者の名前を記した名簿が慰霊碑に奉納された。今年の原爆死没者は4,800人、今日までに原爆死没者総数328,929人となった。広島原爆投下の災禍はいまも続いている。

今年も「平和の誓い」が平和公園に響いた・・・

「 平和の誓い 」

私たちには使命があります。

あの日、広島で起きた悲惨な出来事。そのことを知り、被爆者の方々の思いや願いを聞き、考え、平和の尊さや大切さを、世界中の人々や次の世代に伝えなければならないのです。

昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
赤く燃え、真っ黒に焼け焦げてボロボロになった広島の町。
「兄が死ぬより、わしが死んだ方がよかった。」
大切な人が亡くなった悲しみと生き延びた者の苦しみには終わりがありません。

心に深く傷を負った被爆者は、それでも前を向き
「僕ら若人の力によって、きっと平和な世界を築き上げてみせる。」と決意しました。
悲しみや苦しみを抱えながらも、被爆者の方々は生きることを決して諦めず、
共に支え合い、広島の町の復興に向け立ち上がりました。

本当の別れは会えなくなることではなく、忘れてしまうこと。
私たちは、犠牲になられた方々を決して忘れてはいけないのです。
私たちは、悲惨な過去をくり返してはいけないのです。

私たちの願いは、日本だけでなく、全ての国が平和であることです。
そのために、小さな力でも世界を変えることができると信じて行動したい。
誰もが幸せに暮らせる世の中にすることを、私たちは絶対に諦めたくありません。

争いのない未来、そして、この世界に生きる誰もが、心から平和だと言える日を目指し、努力し続けます。
広島で育つ私たちは、使命を心に刻み、この思いを次の世代へつないでいきます。

令和3年(2021年)8月6日
 こども代表 広島市立袋町小学校        6年 伊藤 まりあ
                   広島市立五日市東小学校  6年 宅味 義将

将来を担う二人の小学生の平和の誓いが私の胸に迫る。

今年1月22日、核兵器禁止条約が発効された。現在、核兵器禁止条約に署名しているのは86か国・地域、批准しているのは55か国・地域。残念ながら日本は署名も批准もしていない。日本の核兵器禁止条約に対する考え方が外務省のホームページにあるが、核軍縮に対する各諸国との認識を共有するものの、日本を取り巻く様々な脅威の現実から日米同盟による米国の抑止力に恃む立場をとっている。冷戦以降、米国の国際的な役割が変容しつつあるなか、果たして米国の抑止力がこれからどうなるかわからない。そもそも核兵器による抑止力という不条理の下の平和が真の平和だとは思えない。

「永遠平和のために」
「永遠平和のために」

随分前に読んだイマヌエル・カントの「永遠平和のために」を再読した。この「永遠平和のために」について永遠平和など単なる空想だという評論も少なくない。しかしカントは空想ではないと主張する。空想ではないことを「永遠平和のために」の「第一補説 永遠平和の保証について」で論証する。その論拠をここに纏めるのは私のような浅学非才の身には荷が重いので避けるが、「自然のなかに人間の不和を通じて、人間の意思に逆らってでもその融和を回復させるという合目的性が現れるという摂理がある」という主旨のことが第一補説の冒頭に書かれている。いまイマヌエル・カントの「永遠平和のために」をきちんと精読しなければと思っているところである。


※このブログで広島原爆について下記に投稿しています。

2020年8月6日投稿 広島ピースセンター

2018年8月6日投稿 石内都の「ひろしま」

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