「敵対と共生のはざまで」

このブログで以前、「情報について」という表題で投稿をしたことがあって、そこに書いた思いはずっと変わらずにいた。

そんなとき、テレビ番組「こころの時代」で「敵対と共生のはざまで」というテーマの番組を観た。いままで様々なメディアで新型コロナウイルス感染の情報が否も応もなく横溢し、私の中で情報が整理できず、新型コロナウイルス感染をどのように認識したら良いか鬱々としていた。そのようなとき、この番組を観て薄暗い闇に一筋の道が見えてきたように私は思えた。

この番組で語っておられたのは山内一也さん(1931.7.17生)というウイルス学の研究者である。山内さんは大学を卒業後、北里研究所に入り天然痘ワクチンの研究に取り組む。日本では天然痘ワクチンは明治初期から北里芝三郎率いる伝染病研究所でも天然痘ワクチンの研究はおこなわれていたが、太平洋戦争が終わると大陸からの帰還者によって天然痘が持ち込まれ、大量の天然痘ワクチンが必要となり、天然痘ワクチンの製造、改良を山内さんたち研究者が中心となってやってきた。

そして研究者としてウイルス研究に没頭する。やがてそれまでにウイルスに対して持っていた認識が大きく変わる転機に遭遇したことを語る。

63歳のとき山内さんはウイルスの奥深い世界を広く一般の人たちに知って貰いたい思いから人獣共通感染症講座というインターネット講座を開設し、エボラ出血熱、BSE、口蹄疫、SARSなどの感染症について情報発信を始めた。この講座で専門家や一般読者から様々な意見や感想が交わされるようになった。2000年ころ、その意見や感想の中に山内さんの価値観を激しく揺さぶる問いかけがあったという。・・・「細菌に善玉と悪玉あるように、善玉のウイルスはいないのか」・・・人獣共通感染症講座では脅威としてのウイルスの話が中心だったなかで、山内さんにとって衝撃的な問いかけだった。いままで学術的にも善玉ウイルスというキーワードはなかった。山内さんはこのキーワードからウイルスに対する見方が変わったというよりウイルス世界への見方が変わったという。

「私がそれまで眺めてきたウイルス世界は実は病気の原因としてのウイルスという限られた側面だけだったということに気がつきました。それまで病気の原因としてのウイルスの研究に取り組んでいた私には善玉ウイルスの存在は考えてもみなかったことです。」と語っていた。やがて山内さんは善玉、悪玉という区別を越えてウイルスが存在するそもそもの意味を問い直すようになっていった。

山内さんはチャールズ・ダーウィンが書いた1860年、友人の植物学者エイサ・グレイに宛てた手紙のエピソードを挙げていた。

チャールズ・ダーウィンの手紙にはヒメバチの生態を挙げ「私は慈悲深く万能の神が、生きたイモムシの体の中身を餌にさせることをはっきり意図してヒメバチを創造されたことに納得出来ません」と書かれていた。

その手紙の中のヒメバチに関し、山内さんはあるウイルスに注目し、ヒメバチの卵巣に寄生するポリドナウイルスについて調べる。すると、ダーウインの手紙のエピソードは面白いエピソードでヒメバチがイモムシに自分の卵を注入するのと一緒にポリドナウイルスも入っていってそのポリドナウイルスが巧妙な戦術で子をかえしていくことがわかってきた。

テレビ番組「こころの時代」で詳述していたヒメバチとポリドナウイルスについての内容を引用すると・・・本来なら異物であるハチの卵がイモムシの体内に入ってくると、イモムシの自己防衛機能により血液中の血球がハチの卵を取り囲んで殺す筈である。しかしポリドナウイルスのDNAには免疫抑制遺伝子が含まれていて、イモムシの免疫細胞を麻痺させてしまいハチの卵を殺すのを阻止する。またポリドナウイルスはイモムシにハチの幼虫の餌となる糖を生産させ更にイモムシの内分泌系を乱してイモムシが蝶や蛾に変態するのを阻止する。孵化したハチの幼虫はイモムシの体内でまず脂肪体、ついでイモムシが生きるのに重要でない器官を餌として十分に発達すると重要な器官を食べ、皮を食い破って外界に這い出る。ポリドナウイルスはハチにとっては幼虫の生存を支える頼もしい共犯者なのだ。ハチが生存すればウイルスも存続でき、ハチとウイルスの双方にとって利益がある一方、イモムシにとっては恐ろしい病原体である。・・・

そして山内さんは、ハチ、イモムシ、ウイルスという関係を人間社会に関連づけている。「私にとっては人間がヒメバチであって、イモムシが自然生態系である。ウイルスというのは科学技術、それが手助けをして、結果的に自然生態系を破壊していくという結果になっているように思えてならないのです。」と語っていた。

さらに「・・・ウイルスは30億年前に地球上に現れて、現生人類のホモ・サピエンスが現れたのは20万年前です・・・ウイルス対人類と言っても、人類はウイルスにとっては取るに足りない存在だと思うのです。コロナウイルスに例えて言えば、コウモリという宿主でずっと1万年前からいる。・・・
ウイルスが人間の方に来なければいいだけですが、来るように仕向けているのが人間社会なのですね。ウイルス対人類と考えてもいいですが、ただ敵というか、勝つとか負けるとかいう相手ではありません・・・」とも語っている。

そして最後に20世紀は、ウイルスの根絶を目指した「敵対の時代」だったが、21世紀はウイルスと共に生きる「共生の時代」だと山内さんは語る。

 

・・・私は70数年生きてきた。そこに突如新型コロナウイルスが出現し脅威を感じ、私は明らかに新型コロナウイルスに敵対的な対象として認識していたと思う。しかし、この番組を観て山内一也さんが語っていたウイルスに対する認識を通して新しい世界に触れることが出来たように思えた。

そしてこの番組は、細菌、ウイルスなど基本的なことを分かり易く語っていて、最近の新型コロナウイルス感染に関する様々なメディア情報では得られない学びを得られたのは私にはとても有意義だった。

 


 

「ウイルスの世紀」 なぜ繰り返し出現するのか
「ウイルスの世紀」
なぜ繰り返し出現するのか

この番組を機に山内一也さんの著書「ウイルスの世紀」を読んだ。そもそもウイルスとは何か、今まで人類に及ぼした感染症の系譜について、この度の新型コロナウイルスについて、ウイルスに対しての人類の対応の現状について、そしてこれからも新たなウイルスが人間社会に現れる可能性を提起し、ウイルスと共に生きる意味について書かれた貴重な本だった。

 

2件のコメント

  1. 大変興味深いお話を、分かりやすく要約、解説して下さって、ありがとうございました。確かに、ウイルスの存在から考えると、人間(動物)の出現など、取るに足りない新参者ですね。それにしても、広い意味での敵対から共生への意識の変化が、この頃世界で叫ばれているSDGsの運動に連動しているのではないかと考えてしまいます。若い世代は、情報の海の中を、上手に泳いでいるように思えます。
    自然の一部である人類が、自らの存在の位置付けを、奢らず見極めるならこの星に在る生きとし生けるものとの共生が必要ですよね。
    でも、考えてしまうのです。人間の社会生存基盤はegoでなりたっていることを。
    他方生物として生存を主張するDNAに突如出現するガン細胞には、なにか必然性があるのでしょうか。人間という感情の生き物が、個々で抗いながらも、結局は種の生存の流れに流されていくのですね。なんか、モヤモヤとした思いが,出てしまいました。読むに堪えない独り言ですね、ごめんなさい。こちらのブログで、いろいろ考える機会を与えていただいていることに感謝しています。ありがとうございます。また、立ち寄らせていただきます。

    1. コメントをありがとうございます。

      azukoさんが書かれていた「…広い意味での敵対から共生への意識の変化が、この頃世界で叫ばれているSDGsの運動に連動しているのではないかと考えてしまいます。…」に気付かされました。
      たしかにそう思います。

      新型コロナウイルス感染の時代に遭ったことそのことが、何が大切なのかをきちんと考える機会を与えてくれているように思います。

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