中東

今日も中東内紛の報道があった。中東で起こる内紛とその犠牲になる人々についての報道は永くから途切れることがない。

「アラビアのロレンス」パンフレット
「アラビアのロレンス」パンフレット

以前に録画をしておいた映画「アラビアのロレンス」を観た。1962年にアメリカで製作されたこの映画は第一次世界大戦のオスマン帝国で起きたアラブ独立闘争、所謂アラブの反乱を描いた227分にも及ぶ大作である。この映画で思い出した言葉が「サイクス=ピコ協定」だった。

私は今日多発している中東内紛の根本原因はアラブの反乱で介入してきた西洋列強のイギリス、フランスによる委任統治で中東分割され、1916年5月16日に両国間で結ばれた「サイクス=ピコ協定」にあるとずっと思っていた。しかし、この映画を観てあらためて思うのは、現在における様々な事態の原因は一つの事柄だけが原因ではなく、歴史というのはそんなに単純なことではないということだった。

私は決して日本史でも西洋史でも歴史についてそんなに興味を持っているわけでもなく、恥ずかしいことにどんな歴史についても殆ど知識がない。それでも昨今の中東における内紛と犠牲者の様相をみるにつけ「何故?」という思いが自然と浮かんでしまう。そうするとどうしても苦手な歴史に触れざるをえない。

「サイクス=ピコ協定百年の呪縛」
「サイクス=ピコ協定百年の呪縛」

そこで池内恵・著「サイクス=ピコ協定 百年の呪縛」を求めて読んでみた。この本を読んで私が思っていた内紛の根本原因は「サイクス=ピコ協定」にのみあるのではなく、その後に結ばれた「セーヴル条約」、そして「ローザンヌ条約」によって現在の中東の国境が形作られ、イギリス、フランス、ロシアが構想した「サイクス=ピコ協定」の中東の将来像はすでに変質している。このようにその時点の出来事のレイヤが重層されて現在に至り、さらにこれから起こるであろう出来事が新しいレイヤとして重なっていく。

池内恵は書く、「・・・略・・・現地の諸勢力は、意に沿わない外部の大国による合意を攪乱し、妨害し、覆す力を有している。中東の問題を解決するための広範囲な合意形成を主導する主体は地域の中にまだ現れてきていないが、合意の形成を妨げる拒否権に等しい能力であれば、地域内のそれぞれの勢力が持ち合わせている。事態は百年前よりも厄介かもしれない。」と。シリアにおけるアメリカとロシアのプレゼンス闘争の限界、トルコ、サウジアラビア、イラク、イラン、イスラエルなどのアラビア半島の諸勢力の軍事的、政治的強化など益々混迷の一途を辿ることになるだろう。なお、この本でも映画「アラビアのロレンス」に触れていてとても興味深い内容であったことを付け加えたいと思う。

さて、中東の歴史を考えるとき、オスマン帝国以前の歴史の起点をどう考えるかが頭に浮かぶ。中東問題は単にオスマン帝国以降の列強国の思惑やそれによって動かされる域内の諸勢力の政治的思惑だけから始まっているわけではないのではないか。そもそも中東とはいったい何だろう。色々と中東関連の本を図書館で探して、小山茂樹・著の「誰にでもわかる中東」と「中東がわかる 古代オリエントの物語」に出会ったった。

「誰にでもわかる中東」
「誰にでもわかる中東」

「誰にでもわかる中東」は中東とは何かについて、領域・自然・風土、民族と宗教に始まり諸民族の興亡と紛争を詳細に論じている。例えば中東の領域をどう設定するかについてこの本は西アジアに中央アジアとアフリカ大陸の北部に位置するモーリタリア、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、エジプト、スーダンを加えたエリアを中東としている。それはイスラム宗教・アラビア語といった共通の宗教・言語をもった国だからだ。因みに日本の外務省のホームページでは西アジアに限定している。中東の領域については特に決まっているわけではないが、この本が中東の領域を上記のように前提としているところにこの本の本質があり、アラブ民族についての宗教・言語を中心とした考察は多角的でありとても面白い。この本は中東の原点を知りたいと思っている人にとって好著だと思う。

「中東がわかる 古代オリエントの物語」
「中東がわかる 古代オリエントの物語」

私はいままで中東に関して頭の中に深い霧がかかっているように茫洋としたイメージしかなかった。「中東がわかる 古代オリエントの物語」を読んでその深い霧がすっと薄くなってきたように感じた。この本は旧約聖書を通して中東の物語をアラブ民族の祖としてアブラハムから始まるとしている。

アダムとイヴから10代目がノアで、ノアの子にはセム・ハム・ヤフェトがいた。旧約聖書・創世記10章で三人の息子の系図が書かれている。その系図を基にこの本ではセムは西アジアの民族の祖、ハムはアフリカ大陸の民族の祖、ヤフェトはエーゲ海諸島と小アジア以西の民族の祖であるとしている。セム語はセムの子孫である西アジア一帯の民族の言語として使われていた。そのセムの子孫にアブラハムがいた。そのアブラハムとアブラハム一族の経緯を旧約聖書から引用しながら中東の物語の始原が展開していき、終章のイスラムの世界に読者を誘う。旧約聖書を通して書かれた古代オリエントの物語から中東の世界を素直に感じられる本であった。

遠く離れた日本に住む私にとって、中東はあまり縁もなく単に報道を介してのみ情報を知るしかない。しかし飛鳥時代には西アジアの文化の影響が伝播されているし、現在においても私たちが住むこの世界は政治、経済、文化など様々な局面でグローバル化している。中東の紛争に起因するテロリズム、難民、飢餓などは多国間の問題と直結していて日本も例外ではない。中東のほんの一端でも知りたいと思って上記の本を読んでみた。

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