函館要塞

昨日、久しぶりに函館山に登った。草花を観ながら登っていくと函館山はもう初秋の表情をみせていた。

函館山には函館要塞といわれる施設がある。1895年の日清戦争後にロシアとの抗戦を想定し、津軽海峡からの侵攻に対して防衛強化するために1898年から4年間かけて大小4箇所に砲台がつくられた。日本の他市のような軍港を守る目的ではなく、商業港である函館港を守るためである。日露戦争開戦後、ロシア艦隊から日本の船舶に損害を被ったが函館要塞からロシア艦隊までは射程外であったため一発の砲撃をすることはなかった。しかし函館要塞の存在によって函館港は攻撃されることはなかった。

その後、大砲そのものは撤去されたが、大正時代になってアメリカを仮想敵国とみなして海空攻撃から函館と青森の港を守り、津軽海峡における敵艦隊の通航を阻止するために津軽要塞として再整備された。しかし太平洋戦争ではアメリカの戦闘機に対しては役に立たず函館は空襲によって甚大な被害を受けた。

函館要塞建設後、1899年に要塞地帯法が制定され一般市民の函館山への立ち入りが禁止された。その47年後の1946年に立ち入りが解放された。この47年間の立ち入り禁止によって函館山の自然が守られたことを思うと、これからも函館山の自然を荒らすことなく大切に守っていきたいと思う。

御殿山第二砲台跡
御殿山第二砲台跡
御殿山第二砲台跡で羽を休めるクジャクチョウ
御殿山第二砲台跡で羽を休めるクジャクチョウ
御殿山第二砲台跡で羽を休める赤とんぼ
御殿山第二砲台跡で羽を休める赤とんぼ
千畳敷砲台跡
千畳敷砲台跡
千畳敷戦闘司令所跡
千畳敷戦闘司令所跡
千畳敷戦闘司令所跡
千畳敷戦闘司令所跡
千畳敷戦闘司令所跡でアカツメクサの密を吸うヒメアカタテハ
千畳敷戦闘司令所跡でアカツメクサの密を吸うヒメアカタテハ
千畳敷戦闘司令所跡から望む津軽海峡
千畳敷戦闘司令所跡から望む津軽海峡

かつてロシア艦隊からの侵攻に備えた函館要塞を建設した。そして日露戦争から一世紀以上経ついま、北朝鮮からのミサイルの射撃に備えて函館自衛隊駐屯地に迎撃ミサイルPAC – 3が配備された。戦争の兆しを感じつつ平和への願いを胸に美しい津軽海峡をしばし眺めた。

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