私は若い頃から死刑制度の是非について断続的に考えていて、未だに是と非の間を迷い続けている。そんなことを考えるようになったのは、30年位前だっただろうか、加賀乙彦の「宣告」を読んだことがきっかけだった。「宣告」は獄中の死刑囚が死の宣告(お迎え)に怯えながら一日一日を過ごす中で、罪の呵責と生と死の狭間に生じる精神の歪みに葛藤しながら純粋に神への信仰へ向かう心の相貌と、その死刑囚と交流する精神科医の眼差しをきめ細かく書き上げている小説だった。
その数年後に加賀乙彦の「死刑囚の記録」を読んだ。この本のあとがきに「宣告」が小説という枠を越えて医官の立場で事実に寄りすぎているという批評があり、その批評へ反論したいという気持ちで純粋なドキュメンタリィとして「死刑囚の記録」を書いたとし死刑についてはっきりと廃止すべきであると書いている。
私は加賀乙彦が医官の立場で死刑囚との濃密な交流があったこと、また敬虔なクリスチャンであることが死刑廃止の立場に身を置く必然となっていると思っていた。いや今もそうだと思っているがそうではない何かが加賀乙彦の中にあるのではないかとも思っている。
最近、加賀乙彦のブログを読むようになった。更新のサイクルは長いもののひとつひとつの投稿が読み応えのある内容なので私は折に触れて立ち寄ることにしている。そのブログに「親しかった二人の死刑囚との別れ」という投稿がある。この投稿を読むと、加賀乙彦が「(人を)信じる」ということに深く心を寄せていると感じる。私は死刑囚と会う機会も持たないし、クリスチャンでもないから死刑囚とて人であるといって死刑囚を信じるという心を素直に働かせることはできない。ただ、実際に死刑囚との心の交流があったら死刑囚を信じることもあるかもしれない。心の交流から掬い取った何か、その加賀乙彦の中にある何かとは一体なんだろう。
そんなことを考え乍らも死刑制度について未だに是と非の間を彷徨い続けている次第である。
※死刑制度に対する意識について平成26年度の内閣府による世論調査がある。この世論調査では「死刑は廃止すべきである」の割合が9.7%,「死刑もやむを得ない」の割合が80.3%となっていて、それぞれの理由も載っている。