私が畏敬するふたりの作家について放映したテレビ番組を観た。ETV特集 ふたりの道行き〜志村ふくみと石牟礼道子の「沖宮」〜である。
戦後の近代化と高度経済を歩んできた日本の不条理を不知火の海から問い続けた石牟礼道子、そして石牟礼道子の問いかけに深く共鳴し生きとし生けるものの命について語り合ってきた志村ふくみの人間的信頼関係は余人には計り知れないほどの深みのなかで築き合っていた。
石牟礼道子の新作能「沖宮(おきのみや)」は石牟礼道子が育った天草を舞台に、島原の乱で若き命を散らせた天草四郎と生き残った天草四郎の乳兄妹であるあや、そして戦で幕府軍によって犠牲になった人々の死と再生を描いた創作能である。
干ばつに喘ぐ村で雨乞いのために龍神への生け贄にあやが選ばれる。あやは緋の衣を纏って舟でひとり沖へ流される。やがて雷鳴が響くなか、あやは天青の衣を纏って現れた天草四郎に導かれて海底の國「沖宮」への道行きが始まる。
石牟礼道子は新作能「沖宮」の天草四郎とあやと龍神が纏う衣の創作を志村ふくみに託す。志村ふくみはそれぞれの衣の色を今まで培ってきた染織家としての眼差しで石牟礼道子に応えようと務める。天草四郎の衣の天青は臭木(くさぎ)という木の実で染めた水縹(みはなだ)色というくすんだ緑がかった色で染める。あやの緋は草木ではなく紅花で染めている。志村ふくみによれば紅花は「天上の紅」で無垢の少女に相応しいと選んでいる。
石牟礼道子が亡くなる10日前の口述による以下の詩句が遺されている。
村々は
雨乞いの まっさいちゅう
緋の衣 ひとばしらの舟なれば
魂の火となりて
四郎さまとともに海底(うなぞこ)の宮へ
番組の中で、新作能「沖宮」を観ていた志村ふくみが、あやの姿に思わず手を合わせたシーンが私の眼に焼き付いた。志村ふくみの胸にあやの姿になって石牟礼道子が蘇ったのだ。
私はこのふたりの作家のことを敢えて嫗(おうな)と称したい。おそらくこの嫗ふたりから掬い取るべきことが未だ未だ私にはありそうである。
なお、この番組を紹介していただいた友人に感謝したいことをここに付け加ておきたい。
※このブログでも石牟礼道子に関しては「苦界浄土〜終わりなき問いかけ〜」と「石牟礼道子の死を悼む」に、志村ふくみに関しては「正月の色」に触れている。