放射線のこと

2週間くらい前、早朝のラジオをなんとなく聴いた。

今年3月に投稿した「東日本大震災から6年」で紹介した本「フクシマ論・原子ムラはなぜ生まれたのか」の著者・開沼博氏が「福島での放射線教育のありかた現状と今後」というテーマで話をしていた。放射能教育をするモデル学校の計画があり、2年前に福島の子どもたちに放射線教育をする機会を得て「放射線を被爆した人から廻りの人に放射線被爆するかどうか」という放射線に関する基本的な知識を問うアンケートをとったら、ほぼ4分の1の子どもたちが被爆すると答えたという。

科学的にいったらそんなことがあるわけがない。おそらく福島県のみならず他県の大人の中にもそういう誤解があるかもしれない。福島県ではいまでも毎日、放射線量の数値などを新聞などで報道されているにも拘わらず放射線の基本的知識のない人が少なくない。

去年、福島の子どもが避難先の横浜で「放射能」とか「菌」とか言われていじめがあったという社会問題になったこともある。また福島に修学旅行にくる件数が震災以来6年半経つ今も増えていない。学校では今だからこそ修学旅行で被災地の実態をみることが大切だといって計画を立てても親の反対によって実現できていないという。

放射能に対する基本的な知識が欠如していることや知識が共有していないことが偏見や差別を生み心のハードルを高くしているのだろう。

それではいま、一般の学校での放射能教育はどうなっているのかといえばほとんどなされていないのが実態であるらしい。震災直後はまだ放射線に対して様々な報道や話題が高まっていたが6年半も経つとその熱が冷め、ただ偏見や差別だけがなくなることなく今に至っている。

そこでいま必要なことは放射線に対する基本的な知識を身につけることだと開沼氏は言う。もちろん放射能の物理的知識も必要だがそれだけでは偏見や差別がなくなるわけではない。表面的な物理的知識を超える思想的、社会学的見識を包括したものが必要だと思うのだが、誰がどのようにカリキュラムを作って放射能教育をするか未だに提示できていないという。

開沼氏は続ける。放射能教育は性教育とか平和教育に通じるものがあると。性教育は必要だが誰がどこまでどのように教育するのか、教え方によってはそんなことまで教えるのかと批判されかねず表面的な教育になってしまう。平和教育でも平和であることは大切であると教えるのは誰でもできる、それでは戦争をおこさないようにするにはどうしたらいいのかを教えるのは様々な意見や立場があって教育の場ではなかなか難しい。ことほど左様に放射能教育も表面的な教育で終わり、本質的な解決に繋がっていかず、偏見や差別はなくならない。

私は正直にいうとほとんど放射能に対する基本的な物理的知識すらない。震災直後、科学者、評論家、報道メディアからバラバラな安全・危険など様々な言論が飛び交った。それ以来、信憑性のある放射能に対する知識をどこに求めていいのかわからなくなっているのである。

環境省のホームページに放射能の基礎知識が載っているが少しは参考になるかもしれない。また、何冊か放射線のことが書かれている本も数冊読んだこともある。しかし開沼氏のいう社会が偏見や差別を克服するためにどのように考えたらいいのか、これは社会全体が抱える課題として捉えるしかない。そして私たちひとりひとりの問題として考えるしかない。

ちょうど今日は震災から6年半経つ。未だに仮設住宅の生活を余儀なくされている方が福島、宮城、岩手あわせて3万5千人、福島だけでも1万2千人だという。

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