銭湯

普段は家で入浴をしているのだが、私が住む家は古く冬の寒い時期に入浴をするのがいささか敬遠気味になっている。そこで、いつも月に二度ほど谷地頭温泉に行く他に、昨年の暮れから近くの銭湯に行くようになった。

さて、昨年の大晦日の昼過ぎに銭湯に行き、浴槽に浸かっていると身体に鮮やかな絵柄を施した4、5人の客がぞろぞろと入ってきた。あとで解ったのだがその銭湯にはある特定の人の入湯禁止の注意書きもなくお馴染みの客のようだった。最初は少しびっくりしたが特段他の客に迷惑をかけたり騒いだりすることもなくおとなしい普通の客と変わることがない。その入ってきた4、5人の客の中に20代半ばの青年がいて50代がらみの先輩格の背中を一生懸命こすっていた。

昨日もその銭湯に行った。浴槽に浸かっていると、80代と思われる歩行困難のご老人が脱衣室から浴室へ這いながら入ってきた。思わず浴槽から立ち上がって手助けをと思うやいなや直ぐ20代半ばの青年が続いて入ってきた。どうやらお爺さんと孫の関係のようでいつもこの銭湯に来ているようだった。しばらく様子を観ているとその20代半ばの青年は甲斐甲斐しくお爺さんの世話をしていた。

年を跨いで遭ったこの2人の青年のことを考えた。

昨年の大晦日に会った青年の今の生き方をどうこう言うつもりはない。おそらく私の想像を越えた色んな事情があって特殊な世界に入ったのだろうと思う。ただ、あの真剣な表情で先輩格の背中をこすっていた姿は、あの青年が違う道を歩むことができたとしたら、きっとあの澄んだ眼差しは別のものにむけられたに違いないと思わせた。

私が昨年の大晦日に会った青年が、私が昨日会った甲斐甲斐しくお爺さんの世話をしていた青年の姿を見ていたらどうだろうかと想像する。逆に昨日の青年が大晦日の青年の姿を見ていたらどう思うだろうか。何も変わらないかもしれない。いや少しは変わるかもしれない。変わるとしたらどう変わるだろうか。

この2人の青年の姿は社会通念的には対極のようにみえるだろう。しかし私の気まぐれなセンチメントかもしれないが、この2人の青年の元々持っている心根はそんなに大きな違いはないのではないだろうか。・・・そう思わせる銭湯で会った2人の青年の姿だった。

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