長谷川潾二郎(1904.1.7~1988.1.28)が歿して今日で29年目になる。画家としてはあまり著名とは言いがたいかもしれない。私もNHK日曜美術館(2010.5.30放送)の特集によって初めて長谷川潾二郎を知り、その3日後に平塚市美術館へ行き作品を観た。
長谷川潾二郎は函館で生まれて20歳に上京して川端画学校で数ヶ月デッサンを学び、その後独学で油彩画に励む。実は私が卒業した高校の先輩であったことも初めて知った。父親の長谷川清は佐渡から函館に移り「北海新聞」の主筆のあと、「函館新聞」の社長兼主筆となり反骨のジャーナリストであった。母親の由起は儒学者の娘で函館短歌会の中心的存在であった。兄妹は4男1女で潾二郎は二男、兄、弟、妹とも文芸の才能がありその道に進んだという。潾二郎自身も画業だけでなく22歳のとき地味井平造というペンネームで小説を発表している。27歳に渡仏、一年間滞在のパリでは数点のパリの街を描いている。帰国後東京で画業に徹し84歳で永眠する。
平塚市美術館で作品を観て、最初はいい絵画だと感じることができなかった。しかし、作品を観ていくにつれ不思議な感覚になっていった。日常の風景、なんの変哲もない静物、見慣れた猫などのタブローが連なって並ぶ空間を歩いていくと、時空を超えた非現実的な世界にすーっと入っていくような感覚が心身を満たす。そこは彼岸なのか此岸なのか、或いは展示の壁に穿たれた窓から偶然みえるただの即物的対象でしかなかったのか・・・、いままで鑑賞した画家とは明らかに異なる潾二郎の唯一無二の世界がそこにあった。
小さい物を大きい物と変わりない気持ちで描く。
よい画はその周囲をよい匂いで染める。
よい画は絶えずよい匂いを発散する。
よい匂い、それは人間の魂の匂いだ。
人間の美しい魂の匂い、それが人類の持つ最高の宝物である。
主題の中心となる色彩はひとりでに己れに調和する色を自分のまわりに呼びよせる。
私が口にしようと思っても、躊躇して口に出来ない問題、私にとって一番大切な問題がある。
誰かが私の画の中にその事情を読みとってくれるだろうか。
私の素顔、それは私の絵画だ。私の詩だ。
現実は精巧に出来た造られた夢である。
長谷川潾二郎
未定稿「絵画について」より