鶴見和子

「遺書 斃れてのち元まる」
「遺書 斃れてのち元まる」

広大で膨大な思想のレイヤーを頭脳に積層させつつ、約13年前に生を終えた鶴見和子(1918.6.10~2006.7.31)の本「遺書 斃れてのち元まる」を読んだ。

私は鶴見和子の世界に正面から触れるということは過去に殆ど無かった。偶々、石牟礼道子や志村ふくみの流れから鶴見和子が気になり始め、「曼荼羅の思想」、「四十億年の私の『生命』」といった対談集を読んだことがあったものの鶴見和子の全体像を掴むことは到底できるものではない。

それでも鶴見和子の死後翌年に出版された「遺書 斃れてのち元まる」は、私にとって生前の鶴見和子の全体像を概観できる役割を担ってくれた本であった。

本の構成は、「Ⅰ遺言」、「Ⅱ最終講演」、「Ⅲ思想」、「Ⅳ時論」、他から成り、それぞれのカテゴリィから多面的に鶴見和子の世界に触れることができる。

特に私は鶴見和子が南方熊楠の曼荼羅思想に理性と感性を寄せながら、世界は様々な個体で成り立っていてそれらが有機的に結ばれている、その個体の一つでも破壊消滅したら世界が成り立たない、という思想に魅力を感じる。この思想は現在の世界の情勢の中、重要な意味を持っているだけに、あらためて鶴見和子の不在を惜しむ。

また「Ⅰ遺言」にある鶴見和子の実妹による「姉・鶴見和子の病床日誌」を興味深く読んだ。鶴見和子が亡くなるほぼ二ヶ月前に背骨の圧迫骨折をしてから、ウィルス性の下痢から上行結腸癌を発症する。延命治療のこと、癌告知のこと、友人との知的交流のこと、病気から発する痛みとの闘い、それでも終末を陽気でユーモラスに振る舞いたい、でも知的活動が出来なくなる焦燥、等々それらが錯綜しながらどんどん病巣は鶴見和子の心身を蝕む。

この「姉・鶴見和子の病床日誌」は、思想家としての鶴見和子を超えて、ひとりの人間の尊厳を感じさせる最期の実相を読み手に迫るものだった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。