いのちつぐ「みとりびと」

数日前、深夜ラジオをなんとなく聴いていて写真家でジャーナリストの國森康弘氏へのインタビヴューに興味を持った。

インタヴューを聴いたあと、國森氏の著書「恋(れん)ちゃんはじめての看取り」を読みたくなって、今日その本が届いた。本を読んだ、そしてささやかで穏やかで暖かな感動で全身が満たされた。

國森氏は大学を卒業後、新聞記者を経てイラク戦争のときにジャーナリストとして独立をした。海外ではイラク、ソマリア、スーダン、ウガンダ、ブルキナファソ、カンボジアなどの紛争地、貧困地を取材し、国内では東日本大震災被災者、戦争体験者、そして路上生活者などの取材をする。最近は「あたたかで幸せな生死を伝えること」、「いのちの有限と継承」というテーマで看取り、在宅医療、地域包括ケアなどを中心に取材をしているという。

恋ちゃんはじめてのみとり
恋ちゃんはじめての看取り

この本は写真絵本という体裁で「いのちつぐ『みとりびと』」全8巻のうちの第1巻「恋(れん)ちゃんはじめての看取り」である。滋賀県東近江市の甲津畑(こうずはた)という集落にすむ家族で小学5年生の恋ちゃんが心から慕っていたおおばあちゃん(曾祖母)の死と向き合い、生まれて初めての看取りと辛い別れをいたいけな小さな身体と心で受け止める。そして「人は死んだら生き返りますか」というテーマの授業で他の子は大抵「生き返る」と答える生徒が多いなか、おおばあちゃんを看取った恋ちゃんは「人は死んでしまうと、つめたくなり、二度と生き返りません」「でも、おおばあちゃんは私のなかで生き続けています。」と答えたという。まさに國森氏があとがきで書いていたように、人が生まれ、生き、死を迎えるということは、「いのちのバトン」ともいうべき生き抜く力と愛情を引き継ぐことそのものだ。

ここ数年、自殺件数が増加している。また、自殺を仄めかす人たちの心の隙間に忍び込んで卑劣にも殺害するという事件も起きている。自殺したいという思いに至るにはいろいろな事情があるだろう、簡単に自殺はいけないことだと断じて解決できることではないと思う。・・・しかしその前に、恋ちゃんがおおばあちゃんから引き継いだ「いのちのバトン」ということを考えてほしい。私たちは引き継ぐべきバトンをどのように見つけ出すのか、そしてそのバトンをどのようように引き継ぐのか。

昨年10月に母が亡くなった。母の納棺の前日に東京に住む私の家族が母の看取りに間に合った。私の孫二人は初めて人の死を目の当たりにした。「恋(れん)ちゃんはじめての看取り」を読んだあと、この本の写真のように孫たちが静かに眠る曾祖母の頬に手をあて顔を寄せてじっと見つめていた様子が蘇った。孫たちは「いのちのバトン」を孫たちの曾祖母からどのように引き継いでくれるだろうか。

2件のコメント

  1. 今日のブログを読んで一晩考えさせられた。前から自分が死ぬときはなんと言って逝ったらよいか考えていたからである。臨終で「good bye」「あばよ」「じゃ、又ね」「皆さん御機嫌よう」色々と思いめぐらしていた。その時に永六輔さんの言葉を思い出した。死とは「家族のために死んでみせることが最後にできる事。その姿勢こそが一番大事」又「人生は二度死ぬんだよ」一つは個体が潰える(ついえる)時が一度目の死、二つ目はこの世界中で誰一人として自分の事を覚えている人がいなくなった時。ふとこの言葉を思い出した。

    1. コメントをありがとうございます。

      永六輔さんの言葉は人がどのように生きてどのように死を迎えるか、考えさせられます。
      今こそ生きている私たちが考えなければならない時代だと思います。

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