宇江佐真理さんと平岩弓枝さん

宇江佐真理さんの小説

函館に移る前から宇江佐真理さんの小説を愛読していた。また、私以上に愛読者の友人からも単行本、文庫本を貸して頂いて殆どの作品を読んだ。

宇江佐真理さんは高校の同窓で一年後輩だと知って尚更親近感を感じたが、その事を差し引いてもこの作家の作品に引き込まれて愛読している。

ところで、宇江佐真理さんは何度も直木賞候補者になるが候補作6作品全てが佳作ながら落選に終始していて、なぜ受賞できなかったのか今までとても不思議だった。あるサイトによれば平成9、10、11、12、14、15年のオール讀物の直木賞発表誌上で時代小説の先輩にあたる平岩弓枝さんが審査員として宇江佐真理さんの作品について以下のような厳しい選評をしていたという。

「幻の声」は人間の描き方がまだまだ浅い。

「桜花を見た」は時代小説を書くにあたって時代考証の間違いが多く丁寧な仕事をしてもらいたい。

「紫紺のつばめ」はレギュラー人物のキャラクターが書ききれてない。

「雷桜」はストーリーが複雑になり過ぎて老婆の話がぼやけて締まりがない。

「斬られ権左」はもう一度初心に戻って作家として自分に忠実な作品を志してもらいたい。

「神田堀八つ下がり」は時代小説は登場人物が生きた社会のしくみをよく知ることが大切。

要約すれば以上のような選評だという。

平岩弓枝さんは時代考証を100%徹底的に調査してその80%を捨てて推敲に推敲を重ねて作品に臨むらしい。そのように自分に厳しい作家だから尚更時代小説の担い手として当時50歳代の宇江佐真理さんに期待する思いがあってこのような厳しい選評をしていたのだと思う。

宇江佐真理さんが一昨年11月7日享年66歳で歿したのは如何にも残念である。彼女であれば平岩弓枝さんの厳しい選評を充分理解しているはずだし、もし存命していればきっと厳しい先輩を唸らせる作品を書いているに違いない。

はて自分にもそういう厳しい先輩が居ただろうか、もしかしたら気付かずに居たのかもしれない。居たとしても貴重な意見を無視していたのだろう、唯々漫然と時間を費やして今に至っていると自覚するしかない。

この歳でも、いやこの歳でこそ、もうすでに誰からも言ってくれることのない厳しい意見を心のどこかで求めているのかもしれない。

 

 

2件のコメント

  1. 今晩は。夕食終わり、パソコン開けてブログ見ました。津軽屋食堂さん、我々おじさんの味覚、雰囲気ピッタリでしたね。津軽屋さん、今年創業52年です。先代からの付き合い、お陰様ですんなり顔出してくつろげました。 友達に感謝です。函館の北洋漁業、港祭りの屋台の賑わいの時の忙しさ等、先代から聞いてたのでお店すいており、少し寂しい感もあったけど、4人での小宴会楽しかった。剛、本読んでるね。宇江佐さん、気にはなってたけど、読んでません。読み易いエッセイ、推理小説等読んでました。次読んでみます。厳しい先輩、嫌われる事を言ってくれる人、少なくなってると思います。年長者は、部下や若い連中に嫌われたくない、𠮟って嫌われたらどうしよう、自分が言わなくても何とかなる、と思ってるのかな?自分若い頃仕事等で先輩、上司から色々理不尽な事、出来そうも無い事いわれたけど、やってやろうじゃないの、なんて意地になってやってたなーって、思います。意地になって仕事こなしてきっちりやり終わりました。(自己満足)なつかしい思いもあります。仕事終えて、自分なりに若い連中に苦言を呈したり、怒ったり、諭したり、煽てたりした事が、彼らにとってどの程度響いたのか?自分が言ったことが若い人に伝わってるはずと思って満足してるかもね。この年齢になったら先人が残してくれた本読んだり、格言や四季折々の行事をチョットだけ意識して意識して毎日過ごそうかとおもってます。例えば今日は、節分だな。桃の節句だなとか・・・肩張らず、自然体でゆったりいきましょう。夜分遅くごめんなさい。裕士でした

    1. 親も学校の教師も厳しく叱ることが少なくなってきていているのかも知れないね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。