松本竣介

今日はさしたる用事も無く久しぶりに今まで観に行った展覧会の図録でも開いてみたいと思い、本棚に収まっている数冊の中から松本竣介の図録を選んだ。

「生誕100年松本竣介展」図録
「生誕100年松本竣介展」図録

松本俊介(1912.4.19~1948.6.8)は私の姉が憧憬してやまなかった画家でもあり、気になっていた画家だった。今から9年前、世田谷美術館で「生誕100年松本竣介展」が開催され観に行った。この展覧会の図録を二冊買い求め、一冊を姉に送った。姉は案の定とても喜びながらも、実際に作品に触れたかったと悔しがっていた。その3年後に姉は病で亡くなった。そんなことを思い出しつつ私はこの図録を手に取った。

9年前に観た展覧会の作品を思い出しながら図録を開いた。初期の作品は人物画や自然をモティーフにして比較的明るい色調だったが、次第に自然のモティーフは少なくなり人物画でも色調を押さえたモノトーンの色調になり、街路、工場、煙突、運河、橋、ニコライ堂、焼け跡などの街の風景を描いた静謐で暗めの色調の作品が図録に展開する。

松本竣介は私が生まれた日のおよそ7ヶ月前に肺結核を患って亡くなっている。享年36歳という若さだった。13歳のとき流行性脳脊髄膜炎に罹り聴覚を失っている。そのため30歳の時の徴兵検査で不合格になったが、複雑な心理だったろうと思う。当時の画家たちが否応なく戦争画を描くなか、松本竣介は彼の言論も含め戦争画と一線を画しているようにもみえるが、実は「航空兵群」という戦争画の試作品を一点だけ描いている。おそらく戦争の只中、国の状況を憂う国民としての自分と画家としての自分の狭間でどうあるべきか懊悩していたのではないだろうか。その懊悩と聴覚を失っていることが静謐で暗めの作品に映っているようにも思える。松本竣介は厳しい戦況に抗うように、そして自分の中の葛藤に抗うように街の風景を描き続ける。彼の街の風景の作品こそがある意味において彼なりの戦争画だったかもしれない、いや彼なりの反戦画だったのではないだろうか。1942年に描いた自画像「立てる像」をあらためて観るとそう思う。

舟越保武・著「巨岩と花びら」
舟越保武・著「巨岩と花びら」
中野淳・著「青い絵の具の匂い」
中野淳・著「青い絵の具の匂い」

さて、友人から譲って頂いた本が二冊手元にある。彫刻家の舟越保武(1912.12.7~2002.2.5)の著書「巨岩と花びら」と画家の中野淳(1925.8.22~2017.3.23)の著書「青い絵の具の匂い」である。舟越保武は松本竣介と盛岡中学と同級であったときからずっと交流を温めてきた友人だった。「巨岩と花びら」は舟越保武からみた松本竣介の人と作品について書かれていて、繰り返して読みたくなるほど二人の交流に羨ましくも憧れを感じる本だった。

中野淳は松本竣介とは一回り若い画家である。「青い絵の具の匂い」は松本竣介の作品「運河風景」に初めて触れた体験、他の作品に対する画家としての精緻な文章、戦中の松本竣介の生活の困窮、ご家族や画家仲間など広範囲で深い交流について書かれていてとても興味が尽きない本だった。

今日は亡くなった姉が私の背中越しに図録を覗く気配を感じながら、松本竣介の絵に漂う時間をゆっくりと過ごした。

 

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