菅井きんという役者

菅井きん(1926.2.28~)が今年8月10日に92年の人生を終えた。高等女学校卒業後、東京帝大の事務職員として仕事をしていたが芝居への夢を捨てることができず、父親の反対を押し切って劇団俳優座に入団する。以降、数多くの演劇、映画、テレビなどで脇役として演じてきた役者だった。

テレビの連続時代劇ドラマで主人公の姑役で有名になった役者だが、私は映画の菅井きんに気持ちが動く。例えば「生きる」「悪い奴ほどよく眠る」「赤ひげ」「どですかでん」などの黒澤明監督の映画で脇役を演じるというのはこういうことなんだと思わせてくれた数少ない役者のひとりだった。特に「天国と地獄」では社会からはじき出されたどん底に生きる麻薬中毒者役でほんの数秒の役だったが、この映画に必要な場面を見事に演じていた。

脇役を見事に演じるということは、必ずしも脇役の存在感をスクリーンに表出させることではない。存在感のある名脇役と賞される役者は今までも居たし、今も居るし、これからも出てくると思う。

しかし菅井きんはその役の存在感を強調するのではなく、その役をその映画が滲み出す空気に溶け込ませ、寧ろ存在感を消去させていると思わせる役者だったと思う。だから映画を観た直後、菅井きんが担った役に印象をもつ人は少ないのではないだろうか。それはその映画の役の存在感を消去させているからなのだ。

菅井きんは自分が死んだら誰にも知らせないでと近親者に伝えていたという。きっと自らの人生も静かに消去しようということなのだろう。

役の存在感を消去させて演じられる役者、それが菅井きんという希有な役者だったと思う。ここに冥福を祈る。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。