函館ハリストス正教会は函館の観光で必ず立ち寄る場所のひとつとしてよく知られている。函館ハリストス正教会は1859年(安政6年)、現在の場所でロシア領事館の附属聖堂として始まった。その後、領事館が公使館に昇格して東京に移転となるとともに附属聖堂が日本初のロシア正教会の聖堂となった。しかし1907年(明治40年)の大火により類焼、ガンガン寺として親しまれていた鐘も焼け落ちた。そして再建工事を着手し1916年(大正5年)10月15日に現在の聖堂が竣工した。設計者は建築家・河村伊蔵(1860~1940 )、日本の多くのロシア正教会の設計をしていて自身もロシア正教会の聖職者でもあった。建築家・内井昭蔵(1933~2002)は河村伊蔵の孫にあたりロシア正教会の信徒でもある。なおロシア風ビザンチン様式の函館ハリストス正教会は1983年(昭和58年)には国の重要文化財に指定されている。
三年前、私が持っている資料を見直したら、1916年の函館ハリストス正教会竣工直前の写真があった。この写真は外壁に白漆喰が施される前の煉瓦積みの状態を撮っていて大変珍しい写真である。
竣工直前の煉瓦積みの姿と現在の白漆喰の姿を比べると全くその印象が違って見える。現在の姿も勿論美しいが、煉瓦積みの姿は写真から想像してみるととても重厚な印象がある。煉瓦積みの写真を資料で見つけて以来、函館ハリストス正教会を見る度に眼を閉じ、美しい白漆喰の下に隠れている重厚な煉瓦積みの姿を思い浮かべてしばし佇むのが私の密かな愉しみとなった。
函館ハリストス正教会。良いですね。別名函館では「ガンガン寺」とも言われ偶然そこを通った時に告げる鐘の音を聞いたときにどこか外国にいるような錯覚を覚える。東京の二コライ聖堂もここからの出発と聞いている。東京の二コライ聖堂も函館のハリストス正教会も中に入って観たが同じ様な造りであった。ロシア正教であるが、函館には色々なキリスト教会が有り、又宗派の違う仏寺があり、それが良く収まっている処に妙な趣を覚える。
函館ハリストス正教会の大正5年の再建時に箱根の塔の沢聖堂から移設した鐘を、関東大震災で焼失して再建した東京神田ニコライ堂に移して今もニコライの鐘で親しまれています。藤山一郎の東京ラプソディという曲にニコライの鐘の歌詞があって、この鐘こそ函館から移設されたものです。
昭和43年のとき函館ドックに造船を発注したギリシャの船主が函館ハリストス正教会に鐘が無いことを知って、ギリシャで鋳造した鐘を献納したとのことです。しかし輸送中にヒビが入って鐘楼に設置したものの鳴らすことはなく、その鐘は今は上磯ハリストス正教会に移設されているようです。
函館ハリストス正教会の今の鐘は昭和58年に設置された鐘だということです。
この鐘が鳴る音は本当に雰囲気がありますね。