函館空襲

先月14日、函館空襲で被害を受け亡くなった函館市街地の犠牲者の碑がある浄土宗・称名寺で慰霊祭があった。またNHKとウィンディーネットワークという海洋調査会社が共同で先月13日に水中ロボットカメラを使って調査し函館沖合の南西5㎞水深約80mの海底で函館空襲で沈没した青函連絡船の第四青函丸が発見されたというニュースもあった。

総務省のホームページ函館市史のホームページよれば東北・北海道は1945年7月14日・15日の二日間に亘ってアメリカ海軍艦載機による攻撃を受けたという。北海道の石炭など軍需物資を本州の工業地帯へ輸送する役目を担っていた青函連絡船12隻のうち沈没・座礁炎上が10隻、損傷が2隻、負傷者72名、死者・行方不明者425名の被害があった。このたび発見された第四青函丸はその中の一隻で54名の人々が亡くなったという。当時空襲によって沈没したことは日本の軍部はいっさい公表しなかったため沈没した場所など今までわからなかった。それだけに第四青函丸が発見されたことは極めて重要なことだろうと思う。

そもそもアメリカ軍の函館空襲の主な目的は青函連絡船を攻撃して軍需物資輸送の手段を絶つことだったが、函館市街地にも爆弾投下や機銃掃射による攻撃もあった。被害を免れた人のそのときの言葉が上記の総務省のホームページに載っていたが、空襲の恐怖と悲惨さが伝わってくる。

その当時の戦争体験をリアルに語り伝える世代の人が少なくなっている今、語り伝えることの大切さをあらためて思う。以前このブログで少し函館空襲について触れたことがあったが、私自身戦争を体験していないだけに戦争については間接的で断片的で皮相的な捉え方でしかないと自覚している。それでも私なりの捉え方で子や孫に語り伝えていかなければと思う。でも正直に云えば私は戦争の悲惨さを伝えるドキュメンタリィや写真などに目を背けたくなることも屡々ある。もしかしたら若い世代の人たちも戦争の悲惨さについて実感もなく戦争の語り伝えの継承についても意識が希薄な人も少なくないかもしない。

しかし一見平和と思える日本ですら現在の安全保障環境を考慮すればいつ戦争の危機に晒されるかわからない。戦争の悲惨さに目を背けたり無関心でいることこそ平和を願う精神からかけ離れ、知らず知らず戦争を招くことになりかねない。これからの時代を担う子や孫のことを想いつつそのことを自らの胸に刻み込もうと思う。

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